9/29/06

SHINOBU個展"Gathering on October 3, 2006"









10月3日私がキューレーターとして関わった個展がオープニングを迎えるのでそのご紹介。スペースは昨年オープンしたHIMIKO Visual Saloon。

特殊メーク技術を学んだ日本人造形作家SHINOBU。日本のテレビ番組、映画、アーティストやなぎみわの老婆シリーズに関わるなど日々“現場”で求められるものを作り続けてきた。しかし「依頼される」仕事をこなしていく日々の中で彼女は手元にある材料で自分の作りたいものを作りたいと思うようになる。手元にあった特殊メークの材料を使ってふとミニチュア人間を一体造ってみたのがきっかけでその手は止まらなくなった。

はじめはオーブンクレイで顔だけ製作してアクリルで色付けしていたがそのうちポリエステル樹脂を使って体も作り始める。100体目を完成させた時、大阪で初個展を開催。 彼女の生み出す「表情」の一つ一つはユーモラスであり、そして同時に「言葉では表現しにくい」微妙な感情を表していて観る者の心の深い部分をついてくる。2004年には渡越し、ベトナムの彫刻家の下で10ヶ月像作りを学ぶ。ベトナムからもらったというインスピレーションで帰国後顔作りを再開し、新たな100体を生み出した時にベトナムで発表する事を決めた。

コンセプトを作ってから作品を作り始める作家ではない。頭に浮かんだイメージを形にしていくほうが先になる。特別なテーマを持って創作するわけではなく、もっと大きな枠組みで彼女はこの顔シリーズを定期的な個展にしていきたいという。「この世、あの世、宇宙、その果て、幻想、夢...どこの世界にも生きているスピリットはあるはずで、そこには同じ時があって、それぞれ瞬間瞬間に何かを感じているはず...そんな普段は集まる事のないスピリットを作品で表現して、時空の垣根を越えて少しずつ集合をかけてみたい」とSHINOBUは語る。

今回のベトナムでの初個展は「2006年10月3日の集まり」と題されている。これはまさしく個展のオープニングパーティーの日付である。オープニングのその当夜、SHINOBUの作品達とギャラリィ—のゲストが一同に集合する。そこで交わされる会話、生まれるエネルギーがSHINOBUにまた次のシリーズを生み出させるのである。

日常と非日常の境って...

久しぶりに昔の友達に会って昔日本やアメリカに住んでた頃の話で盛りあがると<あっ、そういえばそんな事が日常だったよなぁ>とふと思い出したりして面白い。

日本で毎日乗っていた電車。あんまり必死になってるふりは見せずにでもしっかり席を見つけて腰をおろして、続きが気になって仕方ない文庫本を開いて読み始めた時のちょっとした喜びとか。前向いて座ってて突然トンネルに入って向いのガラスに映った隣の人と目が合って何となくうつむく感じとか。梅雨の満員電車で隣の人の濡れた傘がふくらはぎにはりつく不快感とか、そんなの今はない。まずサイゴンに電車がない。(笑)

アメリカ時代、ちょっと治安の悪かった近所に車をとめてた時の微妙な緊張感とか、スーパーで支払いの時に小切手を書く時のボールペンが紙の上を走る感じとか、その時は無茶苦茶日常だったけど今は車もないし小切手もない。

今これを書きながら私のマックのキーボードを走る小ちゃな蟻をタイプの手をとめずに小指で器用にはじき飛ばしてるのも、寝る前にドアにかける幾つもの錠前をチェックするのも、食べ物を食べる前に何となく匂いをかいで暑さでやられてないか確認するのも、外でおばちゃん達がパジャマ姿で雑談してる光景も、そんな昔は非日常だった事が超日常になっている。バイクで街を走っていて信号が近づくと日陰で信号待ちできるように速度調節してパーフェクトな位置で停車できたり、雨の匂いを遠くから感じたら雨合羽着たり、そんな事全く考えずに勝手に体がやってる。昔は一生懸命やっていたアイロンかけや家事一般が今はすべてメイドさん任せでそういう事何も考えなくてもいいこの毎日だって今じゃ全く疑問に思わないけど、よーく考えるとここに来る前まではそんなのは「超非日常」な世界だったはず。

考えたらすごいもんだ。人間の順応力。で、結局どこにいても良い日と悪い日があるわけで、幸せって何だろなー、どこのなんのことなんだろーなー、と思う今日この頃。答えなんてきっとずっとわからないんだろうなー。笑。

9/25/06

トホホな一日と私のオアシス

栄養に気をつけた食事を毎日作ってくれる愛するパートナーのお陰で基本的に病気知らずの私。そんな私を原因不明の突然の発熱と関節痛が襲った。風邪をひいたわけでもなく、朝からめずらしく時々頭痛がするなぁと思っていたその日の夜、友人宅で夕食をごちそうになっていたら突然発熱してぶっ倒れた。びっくりしたのはパートナーと友人。数分前まで普通に会話してた私が突然ダウンしたのだから。とりあえず病院ではなく家のベットで寝たかったので夕食を中断して帰宅。(ここらへんあまり記憶なし)パートナーの介抱でガタガタ震えながも熱冷ましのお薬を飲んでとりあえず眠った。15時間ぶっ続けで寝て目が覚めたらもう翌日の午後。パートナーは留守。<近所のスーパーまで買い物に行ってきます。>との書き置き。

トイレに行こうと起き上がると下の庭で物音がしたので彼が帰ってきたのかなぁ、と思ってフラフラの頭で降りていくと...「げっ?!?誰だこの人?!?」...庭に誰かがいる。朦朧とした頭でドアまで近づいていき開けようとすると鍵がかかっていて大きな音がしてしまった。すると黒い影が庭の木を使って隣の家の屋根によじ登り逃げていく。「あっ...ド、ドロボー。」

でも体が言う事を聞かない。家のドアはパートナーが買い物に行く時に鍵を閉めていったので家の中は大丈夫だとしても庭に置いてあるバイクとかバーベキューとか心配で外に出てみる。でも何も取られた形跡はなし。とりあえずパートナーに電話。まだ熱があるせいで頭の回転が悪く何をしていいのかわからない私。とりあえず、庭に一番近いソファに腰掛けて意味もなく庭のほうを睨んでいたら、ドアの下の隙間に裸足の足が4本見える。うちの前をうろうろしてるのが分かる。もしや犯人か?と思っていたらドアについている小窓(通常この小窓は内側から閉まっているけど、外出時はここの小窓から手をいれて錠前を内側にするのでパートナーが買い物に出た時に開けてあった。)をそっーと開けるではないか。ソファに座ったままじーっとその小窓を睨み続ける私。背の高さと裸足の足から推測して大きくても10代前半くらいの感じ。私と目があって一度バタッと小窓を閉める彼ら。そしてすぐにまた小窓が開いて今度は私を手招きするではないか。<あれ?逃げないの?私と話したいの?!?>どーゆー事じゃ、と警戒しながら近づいていくと2人の少年が「何かが隣の会社の屋根にのってしまったので取りたい。」と言ってくる。子供なんだけど、その目つきがすれた感じに直感的に彼らの話は鵜呑みにしてはいけないと判断した私。

私「さっき家の庭に侵入したのあなた達でしょ。」
少年「っていうかぁ、屋根にのったものが取りたいんだけどぉ。いれてくんない?」
私「なんでさっきうちのドアベル押さないで勝手に入ってくるのよ?勝手に塀よじ登ってきたら泥棒と同じでしょ!非常識!」
少年「ねぇ、おねーさん、ドア開けてよ。取りたいの。」
私「駄目。こっちで調べてなんか見つかったら教えてあげるよ。それかあとで戻ってきてね。」

グワングワンする頭でとりあえず非常識な子供をたしなめる私。そんな私をすれきった目でみてくる彼ら。とりあえず横になりたかったので会話を中断するには小窓を閉めてサヨウナラするしかないと思った私、小窓に手をかざして「バイバイ」しようと思った途端に一人の少年の手が小窓からヌーっと伸びてきた。

一瞬首でも締められるかと思ったら、<グワッ!!>私の左の乳房を鷲掴みにしてくれた。このくそガキっ!!!

まさか泥棒が痴漢になるとは思わなかったのでスキをつかれてその手を掴んで捕まえる事もできなかった。ドアの錠前がかかってるのですぐに外に出て捕まえる事もできない。小窓からみると余裕で歩き去る少年達。ここで彼らが「走り去ったら」まだ子供がスカートめくりするような感じのいたずらに思えてまだ可愛げがあるものの余裕で「歩き去った」のが許せなかった!!!途中で振り返ってニヤニヤしたりしてる。

一瞬の事でショックと怒りと39度の熱で呆然としていると突然雨が。それも豪雨が。
なんか雨音を聞いていたら無性に哀しくなって涙が出てきて独りでワーワー泣いていたらパートナーがゼーゼー息を切らして帰ってきた。事情を説明すると外に飛び出して彼らを探しにいった彼。でも結局みつからずに悔しそうに戻ってきた。

とりあえず盗難の被害は無かったものの地区のセキュリティーに報告しようという事になり大家に電話をかける。ちなみに我々のエリアは高級住宅地ではないけれど、外国人もちらほらいてベトナム人もそこそこお金持ちの人が住む結構いい住宅地である。なんとなく顔に見覚えのある少年たち。近所の子のような気がする。っていう事はお金に不自由してる子供ではなくて単なる「悪ガキ」!?!。

散々な一日。こういう日はすべてを投げ捨ててベトナムにサヨウナラしたくなる。

フィリップよ、一晩中の看病ありがとう。そして今も台所でカタカタコトコトお夕飯を作ってくれているあなた。いい匂い...あー、私の唯一のオアシス。あなたがいるから私はベトナムに住み続けられるのです。ありがとう〜。

なんだか愚痴ってるんだか、惚気てるんだかわからない内容になってしまった。(笑)まぁ、たまにはこういう報告も現実味あっていいかしら。(?!?笑)

9/14/06

Gwangju Biennale & Intra Asia Network(IAN) Workshop


アジア圏の(オーストラリア、ニュージーランドも含む)オルタナティブスペースを結んでもっと活発な協力やアーティストのモビリティーをサポートするためのシステムを築くためここ数年ミーティングが重ねられてきたがそのIntra Asia Network(IAN)のワークショップが今年は韓国の光州とソウルで開催された。

光州ビエナーレのオープニングに合わせてはじまったワークショップ。オープニングには各国からキューレーターやアーティストなどアート関係者が集まって賑わいをみせた。会場にはa little blah blahの名付け親のホウ・ハンルーやシンガポールビエナーレのアーティステック・ディレクターの南條史生氏や評論家の市原研太郎氏らの姿もあった。

3日間のワークショップでは事前に分けられた小さなグループでそれぞれに与えられた課題を話し合ったりと建設的な意見が沢山でたもののやはり政治や経済状況の違う国々すべてをまとめてシステムを作るのはそう簡単な事ではなく、ここ数年話し合っている割にはまだ確固たる形になっていない事に苛立を感じる意見もでた。しかし何度もワークショップやイベントの度に顔を合わせている仲間どうし連帯感はあり、全体的には前向きな雰囲気で終わりを迎えた。とりあえずはウェブサイトという形で多くの人がIANの存在を知り参加できるように「形」作りをする事は決定した。

今後またこのウェブサイトを含めIANの活動に関するアップデートはこのブログ上でもご報告していきたい。