12/9/06

albb talks: 「Seoul: Until Now!」 by Pontus Kyander




ここ2年余ずーっとプロジェクトをしようといいつつスケジュールが合わずに話がまとまらなかった相手がこの人Pontus Kyander。スウェーデン人のキューレーター、アート評論家。やっとお互いのスケジュールが合いそうだという事で来年のプロジェクトに向けてサイゴンにリサーチトリップに来た。スウェーデンの国営放送(SVT)でテレビ番組を使ってアーティストにインタビューしたり(これはよくあるので普通)、30分テレビ番組の枠をアーティストにあげて作品をコミッションしたりとユニークな活動をしてきた人。

昨年Seoul:Until Now!という韓国国外では最大規模になった韓国人アーティストのグループ展をデンマークで開催。 Jiyoon Leeとの共同キューレーション。この展覧会に選出した26人の作品を12月2日の夜7時半から10時までalbb talksとしてゆっくり語ってもらった。トーク直前にプロジェクターが故障するなどトラブルはあったものの質問も多く出て盛り上がった。

12/8/06

albb: reading room






先月始まったa little blah blah のリーディング・ルーム。毎月第一土曜日にalbbのオフィスのあるコレクション(現在約800冊)を公開する試み。先月は一日中停電に見舞われて夕方からは蠟燭の炎の元に読書、という一昔前の光景になってしまったが(風情はありましたが...笑)、今回は電気もオン、冷房もオン、新しい本棚で雰囲気も良くなったオフィスで気持ち良いスタートを切った。毎回テーマを作ってそのエリアの文献を中心に紹介するシステムにしている。先月はシンガポール、そして今月は韓国と香港。午前10時から午後7時までの間学生や若手アーティスト達が集った。

12/7/06

Free NZ Art






a little blah blahイベント第3弾は11月30日、Xcreamというカフェバーを貸し切って開催された。

Free NZ Artと題された今回のイベントはキューレーターであるTobias BergerがニュージーランドのオークランドのARTSPACEを去る前に最後に企画したイベントで12人のNZのトップコンテンポラリーアーティストにポスターデザインをコミッションし合計12種類のポスター各5,000枚、トータル60,000枚を展覧会来場者にお持ち帰りしてもらおうというもの。すでにオークランド、香港、アムステルダムにツアーしており、サイゴンは最後のツアーになった。各500枚、全部で6,000枚のポスターがサイゴンに輸送された。

ポスターもただのデザインの域を越えてアートのフォームになりうるという事をベトナムの観客に紹介できる素晴らしいチャンス!とスーと私は今年の夏前から乗り気で企画していたもののぶつかったのが関税の壁。ベトナムは紙と布の輸入にやたらと厳しい。ただでさえ運送料が結構かかるのに無料で配布するポスターの関税に払う大金はないとの事でニュージーランド領事館に支援を求めた。心よく支援を約束してくれたのが総領事のPeter Healy氏。NZプロモーショナルマテリアルという事で領事館宛で荷物を送ったので問題なし!と思っていたら荷物がこれまた届かない。何があっても大丈夫なように1ヶ月半も前に郵送を手配したのになんとAPECの関係で船が入港できないという。APECの終了があんなに待ち遠しかったのは人生で初めて。(笑)終了とともに領事館も迅速に対応してくれて何とか間に合った!良かった!

今回はポスターを安全にお持ち帰りいただこう!+少し収入も得よう!という事でチューブを300本用意した。一本3万ベトナムドン(約2米ドル)で会場内で売る。売れ行きは好調。クリスマスセールさながらの盛り上がりぶりで大量のNZアートポスターがベトナム人や在住外国人のお家に散っていった。

参加アーティスト:Andrew McLeod, Billy Apple, Dane Mitchell, et al, Francis Upritchard, Gordon Walters, Jonh Reynolds, Lisa Reihana, Mark Adams, Peter Robinson, Yuk King Tan and Yvonne Todd

12/6/06

New Works from Pearl River Delta






a little blah blahイベント第2弾は11月29日にClub Berlinというナイトクラブを貸し切って行った。キューレーターは現在香港のPara/Siteのキューレ—ターを務めるTobias Berger。Pearl River Delta からの選りすぐられたアーティストの作品が紹介された。アン・ハーの訃報以来あまり見かけていなかった若手アーティスト達も顔を出してくれた。

参加アーティストは下記の通り:
Cao Fei, Erkka Nissinen, Hu Xuangqian, Huang Jianbo, Jiang Zhi, Mai Yongxi, Xu Shuxian, Ye Jianhui, Yuk King Tan

ビデオアートの上映会は他の展覧会に比べて比較的企画運営し易いのだが(作品がもちろん面白いのが前提だが、基本的に会場の音響等が整っていれば成功する確率が高い)今回は上映会は盛況のうちに終わったがそれまでが大変だった。24日まで来越できないTobiasに事前に作品をハードドライブに入れて送ってもらったのがdoor to doorに頼んだにも関わらず待てども待てども来ない!通常は東京や他の都市からやってくる友人に手荷物でもってきてもらうのだが今回は運悪く誰もタイミング良く来越予定がなく、結局リスクを承知でベトナムに直送してもらう事にしたのが原因。Door to doorだから大丈夫かと思いきや、香港を出た荷物が行方不明に。トラッキングナンバーで検索してもホーチミン市に入ったところまでしかたどれない。 Tobiasが手荷物でもってきてもらったものを細かい編集なしで(タイトルページ等)見せるしかないと諦めたところでポストに地元の郵便局からメモが。急いで取りにいくと半分分解されたハードドライブが待っていた。(涙)有り難い事に中身は損傷なかったので大事には至らなかったが、あんなにヤキモキしたのは久しぶり。とにかく無事に終わって良かった!そしてもう二度とリスクはおかさないぞ!と胸にかたく誓う。

12/4/06

Yuk King Tan個展




サイゴン・オープン・シティーの開幕に合わせてa little blah blah(albb)も3連夜でサテライトイベントを行った。サテライトといっても肝心のサイゴン・オープン・シティーのほうが曖昧な幕開けだったので結局我々が話題を独占する形になりalbbウィークのようになってしまった。笑。結果的には我々の活動を来越中のアート関係者やアーティストに紹介できるいい機会になったのでラッキーだった...かな。

11月28日はa little blah blahのキューレーションでGalerie Quynhと共同プレゼンターという形で中国系ニュージーランド人のYuk King Tanの個展。スーも私も前々からすごく好きだった彼女の作品を初めてベトナムに紹介する事ができた。

フォトペーパーにスキャンしたイメージを蠟燭の炎で燻した表面にスクラッチドローイングをほどこしていく手法。発展とともに美しく変わっていく都市とそれに伴ってうまれる大気汚染や、もっと大きな意味で「失われていく」何かを力強く表現している。その他にもビデオ作品1点と写真の作品が2点。オンラインエキジビションがwww.galeriequynh.comより閲覧可能。

オープニングにはギャラリィーの外にバーを設置。サイゴンよりすぐりのスレンダー美形トリオをバーテンダーに抜擢。(個人的趣味だけど...笑)パーティーに華を添えてくれた。

12/3/06

サイゴンオープンシティー(SOC) 第1章「解放」開幕...?!?


サイゴンオープンシティー(SOC) 第1章「解放」が微妙な形でスタートした。 開幕一週間前にDinh Q. Leの家でRirkritやJeabと夕食を共にした時点ではまだ文化情報局からは口約束だけで、許可証は受け取っていなかった。特に戦争証跡博物館の使用許可が下りないようでそこで展示予定のアーティストをどうするのか相談していた。 そんな状況下で彼らの妙に達観した(?!)落ち着き具合に不安と同時に一種の安心感も覚えたのは確かだった。「ベトナムみたいな国ではこの展開はしょうがない。政府との問題は騒いでも何もならないものは何もならない!」という彼らのある意味正論に妙に納得もした。「プランBどころではなくプランXまであるから大丈夫!」というRirkritに「もしかしたら何とかなるのかも!」と期待した。

参加アーティストや関係者が来越し始める中、プログラムが公開されず4、5日後に迫っているオープニングなのにいつどこで何が行われるのか全く情報がない。我々ローカルはまだいいとして外国からはるばるやってくるアート関係者の事を思うと気の毒だった。各国のアート関係者からa little blah blahにも「情報乞う!」の連絡が入るが我々も情報がないので答えられない。結局ローカルをすっ飛ばして香港のアジア・アート・アーカイブに先にプログラムが渡り我々ローカルは香港経由で情報を得るという結果に。(笑)

結局、許可証の無いまま11月25日を迎え、予定されていたプレスカンファレンスとプレビューは当日になって中止。デイビット・ロスによるヨーコ・オノ作品解説トーク(?!)のみの開催。これも直前で会場が変更され、おまけに開始時間を早めたため(直前に会場変えるならせめて皆が移動してきても間に合うように開始時間を遅めようよ〜!)見逃した人も多かった。翌26日にSOCスタジオスペースで非公式オープニングが行われたが 戦争証跡博物館に展示予定だった作品がこれまた直前にSOC建物内に変更になったため会場の一部では搬入が進行中という状況。「なぜ直前まで許可証を悠長に待っていたのか?もっと対応策はあったはず」等の厳しい意見が地元を中心に挙る一方で、 海外アート関係者等の目にはこの混沌も歴史的なステップの一過程として面白く映ったようで案外同情的、協力的な空気が大半を占めていたのが意外だった。

まぁ、たしかにお粗末なスタートにはなったが、確かにベトナムのシステムを浮き彫りにする面白い展開ではある。SOCが言っていたようにたしかに文化情報局から口約束はあったようだ。実際ベトナムの共産党のホームページでは「ベトナム国際アート展開催しまぁーす!」なんて情報がアップされていたりする。(笑)SOCオフィスにはハノイの文化情報局の高官から「娘がサイゴンに今いっててねぇ、是非オープニングに行かせたいんだけど招待状を送ってやってくれんかい」なんて問い合わせもあったようだ。(笑)結局トラブルを起こしているのはサイゴンの末端の政府の役人達。結局は自分たちの権力を示す一種のゲームとあとは賄賂が目的なんだろうとの見方が強い。

なんだがボロボロの始まりだが、でも私は個人的に全面的に否定しているわけではない。正直来年に残された第2章、最終章にむけてどう政府の対応が変化していくのか、そしてどこまでSOCが延びていけるのか大きな関心を抱いている。

今回私が批判する事があるとすれば、SOCが口約束を信じすぎて悠長に構えすぎた事。ベトナムでは、この手に欲しいものを掴むかでは口約束なんて無いのも同然。手につかんだって没収されるくらいなんだから。プランZまであると豪語していたわりには最後の最後に会場変更したりして外国からのアーティストは帰国までのわずかな時間でインスタレーションを終えなければいけなかったり気の毒だった。万が一の事を想定してSOCの事務所建物内の環境を整えておくくらいの準備はあっても良かったと思う。

写真:
(上段左から)
1)元サンフランシスコ近代美術館(SF MOMA)館長、David Ross
2)27日に行われたキューレーターと参加アーティストのディスカッション
3)同上ディスカッションの観客
(下段左から)
1)シンガポールからOng Keng Sen、韓国からSunjung Kimがゲスト・スピーカーとして招待
2)25日プレスカンファレンスとプレビューが中止になったので急遽Jeabがプレス関係者等に説明会を実施

12/2/06

友人の死


この2週間いろいろあった。

11月5日付けの私のブログでも紹介した若手グループARROWの中でも将来的に有望だと期待していたアン・ハー。a little blah blah のトーク系にも顔を出してくれたりとこれからもっと仲良くなりたいと思っていた矢先に彼女の訃報を聞いた。

早朝5時..自宅で喉を切られて殺された彼女。まだ23歳の若さ。美大を卒業して、腐れ縁だった昔の彼と区切りをつけて新しい彼と(彼もアーティスト)スタートをきったばかりだった。

彼女を殺めたのはこちらも私の知り合い。N君。仕事も何回かしたことがある。一日に100枚もデッサンするような真面目な画家だった。アン・ハーとの長年の恋に彼のほうは終止符が打てなかったのか...殺意の本当のところは彼が留置所にはいっていて面会もできないので我々には謎のまま。殺人には死刑が頻繁に施行されるベトナム。彼の場合は殺害直後警察に自首したので本来なら死刑は免れて終身刑どまりのはずなのだが、もし彼女が抵抗できない寝込みを襲っていた場合は死刑の可能性も残っているそうだ。彼は28歳。

サイゴンの小さなアートコミュニティーの中のさらに小さな若手アーティストのコミュニティー。2人の友人を最悪の形で失って皆の表情は暗い。アン・ハーの追悼展覧会が来週にも企画されている。

11/12/06

Killywell ミュージックビデオ撮影


お天気の良い日曜日の午後、サイゴンをベースに活動を拡げている友達のバンドKillywell (Will&Kelly) のミュージックビデオ撮影があった。場所はa little blah blahオフィスの上のルーフトップ。彼らは共にアメリカのテキサス州出身。29歳と23歳の若いカップルで結婚指輪のかわりに左手の薬指にそれぞれの名前のイニシャルを入れ墨している可愛い二人。Willはお母様がベトナム人でそれが縁で昨年サイゴンに引っ越してきた。音楽のジャンルはelectronica, folk, country。a little blah blahのイベントでもたまに協力してもらっている。普段は英語の先生やベトナムTVのコマーシャルモデルなどをして生計をたてながらたまに街のカフェバーでイベントをやっている。ちょっと人恋しい独りの夜とかにはぴったりのメローな音楽。
彼らのサイト:http://killywell.com
http://myspace.com/killywell

11/5/06

ホーチミン市美術協会*若手作家グループ展


11月1日(水)、ホーチミン市美術協会で若手アーティストのグループ展があった。この夏サイゴン・オープン・シティーのプログラムの一環であるレジデンシー・プログラムへの参加も果たしたARROW GROUPが中心となっている。第一印象は「がんばってるのねぇ...よしよし!」だった。美大生や20代前半の若手アーティストがそれなりに「形」になった作品を発表する事なんて数年前までは皆無だったからそれだけでここ数年のアートコミュニティーの成長ぶりをみて嬉しく思った。まだまだどっかでみたような作品の真似っこが目立つけれど、その中でも幾つかは将来を期待出来るものがあった。

美術協会内のギャラリィーでの展覧会はオープニングが通常平日の午前10時である。もう徹底的にアートコミュニティ—以外の勤め人なんか無視した時間帯である。それでも庭に置かれた70席位の椅子はおじいちゃん画家や美大の学生で埋まっていた。美術協会長からの長〜いスピーチを見ていたら昨年行ったポーランドでの美術館のオープニングを思い出した。官僚的な感じ...すごく似てる。

もう一つ気になってしょうがなかったのはギャラリィ—内に「装飾」として置かれているお花の数。 作品の撮影をする度に花瓶に生けられたお花達が作品の真後ろにあったりして最初は「これってインスタレーションの一部なの?!」と思ったくらいだった。

ベトナムでは展覧会や新規店舗オープンには大きな花輪や花束を贈るのが今だに主流。私もベトナムで個展をした際に多くの方から花輪をいただいてしまい、彼らの気持ちを大変嬉しく思いつつも、彼らの顔をたてるためにもどこかに飾らないといけないし、でも作品と同じ視野の範囲には入れたくないしですごく困ったのを覚えている。

まだ今回のグループ展に参加しているアーティスト達はそういうお花の存在が作品を「邪魔している」という感覚がわかっていないようだ。今度会うのでその時にフィードバックとして言おうと思うけれど...でもこういう感覚って教えられて気づくものなのかな?!?!

10/31/06

a little blah blah先週のトーク報告


先週はa little blah blahで2つトークがあった。

一つ目はオーストラリア・アデレード市でthe Contemporary Art Centre of South Australiaのディレクターを務めるAlan Cruickshankをゲストスピーカーに迎えた。CONTEMPORARY ART+CULTURE magazine broadsheetの編集長兼発行人でもある彼を囲んでサイゴンのアートライターやアートに関わらず文筆業に関わる人を招待してのカジュアルディナー・ディスカッション。

2つ目は「ビエナーレ・トーク」と題してスーがシドニー・ビエナーレ、私が韓国・光州ビエナーレ、そしてゲストスピーカーとしてシンガポール・ビエナーレにMogas Stationというアーティスト集団として参加したWonderful District のSandrine Llouquetがシンガポールビエナーレ全般と彼らのプロジェクトを紹介した。Mogas StationからはRich Streitmatter-Tran とGulschan Gothelもトークに参加。若いアーティストや学生を招いてビエナーレを直接観る機会の無かった彼らに私達が撮り集めてきた作品写真をパワーポイント(スライドショー)で見せながらベトナムの外でどんなアートシーンが展開されているかを紹介するのが目的。

来週末には我々のカタログ/アートブックコレクションを地元アートコミュニティーに(特に若いアーティストや学生を対象)公開するalbb READING ROOMも本格的にスタートする。現在コレクションは800冊以上。ベトナムにいらっしゃるアート関係者の皆様、カタログ等もし我々のライブラリーコレクションご寄贈いただけるものがありましたら感謝感激です!!宜しくお願いします!!

10/25/06

災難よ、サヨウナラ




腰の事を書いたら思いがけず多くの方からお見舞いメールをいただいた。ありがとうございます!おかげさまで痛みも峠を越えて今は座る時は気をつけているものの正常な生活に復活。数々の災難も家の水回りの工事や大掃除をしたら運気が変わったようでその後は大きな問題もなし。家の整理整頓が運気に影響するってまんざら嘘でもないかも...と思う今日このごろ。

さて、先週末久々に携帯もインターネットも封印して 南の島フー・コックでロング・ウィーケンドを過ごしてきた。サイゴンのタンソンニャット空港から1時間、往復航空運賃66ドルでいけるベトナム最南端の楽園の島。ここはかつてはカンボジアが自分たちの領土だと言い張ってベトナムと争っていたところで、島の北部には今でもカンボジアの侵攻に備えてベトナム軍隊の基地がある。(今はカンボジアの軍隊が昔ほどのパワーを持っていないので沈静化しているが問題は解決したわけではない。基地は現在は主に軍隊のトレーニングに使われているらしい)ヌック・マムや真珠の養殖でも有名なところ。ちなみに政府が作ったフーコック島地図を見ると4つのゴルフ・コースとカジノが載っているがそれらは一切存在しない。島のイメージアップ、投資、観光業促進を目的にやったことだろうけど、そんなにすぐバレる嘘ついて(それも印刷して)どうするんだろう(笑)

フィリップの10年来の友達が昔友人達がホリデーに使えるようにと建てたバンガローが今では数が増えてホテルとして一般に開放されている。マンゴー・ベイという名前。広大な敷地にベーシックなバンガローが並ぶ。水シャワーしかなかったり(お部屋によっては温水有り)、電話もテレビもインターネットももちろんない。ひたすらあるのは海と緑と青い空。そして美味しい魚介類。

メールと携帯の奴隷的日々を過ごす日常から解き放たれて、泳いでは食べ、泳いでは寝て、ストレスが心身から流れ出て行くのを実感。エネルギーが湧いてくるのがわかる。これってどんなに素敵なスパでも体験できない自然の力だけがくれるエネルギー。心配していた腰の痛みもあまりなく、エネルギー充電できた。これでまたしばらくは走っていられそう!災難ともおさらばだぁ!

さて、滞在中に「さすがベトナム人の発想力!」と感激したのが写真のこれ。
これはパンケーキを注文したら一緒にでてきたチョコレートクリーム。美味しい。ヌテラというチョコレートのブランドをご存知だろうか?あれに似た舌触り。味はヌテラからナッツのフレーバーを抜いた感じ。ただのチョコレートを溶かしたのよりはなんと言うか不思議な弾力がある。あとでオーナーのローソンが合流したので秘密を聞いてみたらなんとベトナム人のスタッフの発案らしい。なんと牛乳と混ぜて飲むミロ(“良い子の飲み物”として宣伝されてた記憶が...)のあの粉末と練乳を混ぜて作ったものらしい。このレシピだけ聞くと美味しさを想像するのは難しいかもしれないけど、チョコレートクリームにはちとウルサイ私たちが納得したお味。お試しあれ!?!

10/24/06

a little blah blah (albb) ブログご紹介






「ねぇ、サイゴンで一体何やってんの?」と頻繁に聞かれる。(笑)
雑誌にアート関連の記事を書く以外には、オーストラリア人アーティストのスー・ハイドゥと一緒にアーティスト・イニシアティブa little blah blahを運営している。アートエキジビションやトークイベントのキューレーションが主なお仕事。
ブログをアップデートしたばかりなのでご報告がてらご紹介(英語サイト・写真沢山有):
http://albbsaigon.blogspot.com

10/13/06

災難よ、ありがとう

腰痛もちの友人や知人が数人いる。どこからか仕入れてきた雑学をおせっかいにもメールしたり、整体師を紹介したりとそれなりに協力してきたつもりだったが、本当に彼らの痛みや苦しみを共有していたわけではないと改めて気づかされた。言葉は悪いが、所詮人ごとだった...4日前までは、、、。

4日前。朝起きようと思ったら腰に激痛が走った。正確にいうと、尾骨、その昔尻尾だったところである。別に転んだわけでもなく。過去に大きな事故に会った記憶もなく(突然昔の傷が痛みだすことがあるときいた事があったので)、思いつく事といえば職業がらコンピューターの前で物書きをしている事が多いので同じ姿勢で長時間座っていた事くらい。でもこれだって今に始まったわけではなく、長年の事でなんで今更突然?!?

カユミや痛みに非常に弱い私。普段蚊に刺されては騒ぎ、家具の角に足の小指をぶつけてはフィリップが駆けつけてくれるまでヒックリかえって死んだフリをする私。(たんに甘えてるだけか、おバカ、笑)でも本当の痛みの時は非常に静か〜になる。言葉がでないくらい痛いというか、汗がにじみ出てくるというか、<こ、これが痛みというものか...>と妙に感心しているというか...

その異様な静けさと微動だにともしない私に気づいたフィリップ。これは一大事と思ったらしい。また病院に運ばれた。タクシーに乗り降りする時に火山のマグマが轟くような唸り声を発してしまい運転手が怖がっていた。

仲良しの病院のイスラエル人の院長。「おっ、最近よく来るねぇ。メンバーシップカードをあげよう!」とか言いながら自分のジョークが可笑しかったらしくて笑っている。「君(フリップを指差しながら)といるからカンガルーの尻尾がはえてくるんだよ、きっと。はっ、はっ、はっ(注:フィリップがオーストラリア人だから)」くだらない冗談で独り暴走してる。ちょっとウケて笑ったらその笑いが振動となって尾骨に響く。
(注:ちなみにこの先生の冗談のレベルはひどいものですが、非常に優秀な心温かい先生です。)

レントゲンをとったが、骨の異常は認められない。先生いわく、「実はこの症状で来院する女性患者の7割はストレスが原因なんですよ。あなたの場合もきっとその可能性が強いですね。病院としてはあまり出来る事はありません。」

「えっ?!ストレス...?!?」
私ってそんなに繊細な神経の持ち主だったの?!?でもそういえば最近、幾つか気になる事があるといえばある。というか、「気に“いらない”事」がある。自分が繊細だと突然告知されて自分が急に愛おしく思えてきて診察室で目を閉じて両腕で自分をグッとハグしてみるが、怖くなってやめた。笑。

一応痛み止めのお薬をいただいて飲んでみた。普段薬は滅多に飲まないので即、効いた。
痛みは鈍く残っているものの頭がなんだかパンパカパーンとファンファーレ状態で妙に楽しくなってきた。「これって、一種の(合法)ドラッグ?!?」—————可能性はある。お医者様が処方する薬の中にはきちんと量が計算されている+患者にはそれを飲む正当な理由があるというだけで中にはいわゆるレクリエーショナル・ドラッグとして使用されるものが入っている事が多い。あまりにハイになっている自分が怖くなって服用をやめた。

立っているほうが楽なので、今は基本的には家の中をソローッ、ソローッと歩き回っているかもしくはフィリップお手製「尾骨が直接イスにあたらないドーナツ型クッション」に座って仕事をしている。痔の人が使うような形のクッションである。ちょっと恥ずかしい。でも痛みには変えられない。随分楽になった。

昨日は2階のシャワールームの水道管が破裂して今一階の壁は滝のように水がしたたっている。最近災難続き。あっ、今気づいた。今日は13日の金曜日でもある。笑

災難が続く時は怒ったり悪い言葉を吐くとチェーン・リアクションでさらに悪い事が続くらしい。だからそれを断ち切るために何が起きてもとりあえず「ありがとう」と言ってみるといいらしい。良いといわれたことは何でも試してみる私。水浸しの壁をみては「はい、ありがとう」メイドさんがうっかり落としたミルクのパックでミルク浸しになっても「はい、はい、ありがとう」と言っているので一部の人間から「最近モトコは仏のようになった。」と言われている。笑 

まっ、邪心だらけで仏からはほど遠いが、でもたしかにこの「ありがとう」は効果あり。腹がたたない。これでストレスも(もし本当にストレスが原因ならの話だけど)解消されて腰もよくなるかな〜。考えが甘いかな〜。笑

10/4/06

SHINOBU個展 オープニングを迎えて


先日ご報告した日本人造形作家SHINOBUの個展がオープニングを迎えた。強い雨が降る中始まったオープニング。私も雨でなかなかタクシーが来なくて遅れて到着した。それでも雨の中多くの人が集まって彼女の作品を楽しんだ。彼女に出会ったのはサイゴンに住む共通の友人の紹介。その時彼女のポトフォリオをみせてもらって、まだ荒削りながらもなんだか不思議なエネルギーを感じた。その後しばらくして彼女からベトナムで作品を発表したいという気持ちを伝えられ、それでは微力ながらもお手伝いしましょうという事で今回の個展に至った。彼女はどちらかというと職人気質のタイプ。コンセプトを言葉で語るよりもその時間手を動かして作品を生みたい人。私はどちらかというと頭でコンセプトを練ったり表現したい事を言葉にしてみるのが好きな性格。彼女は私の想像以上にインディペンデントで当初思っていたよりも私がキューレーターとしてしなければいけない事は少なかったけれども、彼女の作品に込められた思いを言葉に変えてあげる、という形で少しは協力できたかな...と思う。SHINOBUさんにはこれからも力のある作品を生み続けてもらいたい。

今年はA+A Public Art Unitのドリーム・コレクターも、SHINOBUさんの個展もどちらも「共通の友人」がいた事がきかっけになって生まれたプロジェクト。それだけでなくて、いろいろ振り返ってみると、例えば日本のアート雑誌に記事を書かせてもらえるようになったのも最初のきかっけを作ってくれた先輩ライターのおかげだし(みおさん、ありがとうございます!)、人との縁はやっぱり不思議でそして大切にしたいものだと改めて感じた。

Hoang Duong Cam個展「Fat-free Museum」










報告がちょっと遅くなりましたが、友人の個展がまだ開催中なのでご紹介。

アート市場という観点からいえば急激な成長をみせるベトナムコンテンポラリーアート。欠けているものがあるとすれば上等なユーモアや皮肉のセンスだろう。画家としてすでに知名度のあるカムが今回選んだのはデジタルカメラ。2005年のNY滞在時に毎日のように通ったメトロポリタン美術館の巨匠達の作品を写真に収め、彼は自分とその作品達に関連をつけていく。例えばメトロポリタン美術館の屋上にNYの摩天楼を背景に設置されたソーレ・ウィットの彫刻を撮った写真に彼は1966年のベトナム兵の彫刻のイメージをフォトショップで加工する。まるでレウィットの作品やNYの街を脅かす何者かに立ち向かうように銃をかざすベトナム兵の姿はベトナム戦争時の敵国をまるで守っているかのようで思わずその皮肉に笑わずにはいられない。 真面目なテーマやロマンティシズムに走る作風が悪いと否定するわけではないが、ホアン・ズーン・カムの新作にピリッと効いたユーモアに、そしてそれを評価するアートコミュニティーを見た時に新しい世代が台頭しはじめた事を感じた。

ホアン・ズーン・カム個展 「ファットフリー・ミュージアム」
Hoang Duong Cam: Fat-free Museum
9月14日〜10月15日
ギャラリィー・クイン
www.galeriequynh.com

写真キャプション:
左)ホアン・ズーン・カム、花の側...、2006
右)ホアン・ズーン・カム、攻撃—彫刻—保護、2006

9/29/06

SHINOBU個展"Gathering on October 3, 2006"









10月3日私がキューレーターとして関わった個展がオープニングを迎えるのでそのご紹介。スペースは昨年オープンしたHIMIKO Visual Saloon。

特殊メーク技術を学んだ日本人造形作家SHINOBU。日本のテレビ番組、映画、アーティストやなぎみわの老婆シリーズに関わるなど日々“現場”で求められるものを作り続けてきた。しかし「依頼される」仕事をこなしていく日々の中で彼女は手元にある材料で自分の作りたいものを作りたいと思うようになる。手元にあった特殊メークの材料を使ってふとミニチュア人間を一体造ってみたのがきっかけでその手は止まらなくなった。

はじめはオーブンクレイで顔だけ製作してアクリルで色付けしていたがそのうちポリエステル樹脂を使って体も作り始める。100体目を完成させた時、大阪で初個展を開催。 彼女の生み出す「表情」の一つ一つはユーモラスであり、そして同時に「言葉では表現しにくい」微妙な感情を表していて観る者の心の深い部分をついてくる。2004年には渡越し、ベトナムの彫刻家の下で10ヶ月像作りを学ぶ。ベトナムからもらったというインスピレーションで帰国後顔作りを再開し、新たな100体を生み出した時にベトナムで発表する事を決めた。

コンセプトを作ってから作品を作り始める作家ではない。頭に浮かんだイメージを形にしていくほうが先になる。特別なテーマを持って創作するわけではなく、もっと大きな枠組みで彼女はこの顔シリーズを定期的な個展にしていきたいという。「この世、あの世、宇宙、その果て、幻想、夢...どこの世界にも生きているスピリットはあるはずで、そこには同じ時があって、それぞれ瞬間瞬間に何かを感じているはず...そんな普段は集まる事のないスピリットを作品で表現して、時空の垣根を越えて少しずつ集合をかけてみたい」とSHINOBUは語る。

今回のベトナムでの初個展は「2006年10月3日の集まり」と題されている。これはまさしく個展のオープニングパーティーの日付である。オープニングのその当夜、SHINOBUの作品達とギャラリィ—のゲストが一同に集合する。そこで交わされる会話、生まれるエネルギーがSHINOBUにまた次のシリーズを生み出させるのである。

日常と非日常の境って...

久しぶりに昔の友達に会って昔日本やアメリカに住んでた頃の話で盛りあがると<あっ、そういえばそんな事が日常だったよなぁ>とふと思い出したりして面白い。

日本で毎日乗っていた電車。あんまり必死になってるふりは見せずにでもしっかり席を見つけて腰をおろして、続きが気になって仕方ない文庫本を開いて読み始めた時のちょっとした喜びとか。前向いて座ってて突然トンネルに入って向いのガラスに映った隣の人と目が合って何となくうつむく感じとか。梅雨の満員電車で隣の人の濡れた傘がふくらはぎにはりつく不快感とか、そんなの今はない。まずサイゴンに電車がない。(笑)

アメリカ時代、ちょっと治安の悪かった近所に車をとめてた時の微妙な緊張感とか、スーパーで支払いの時に小切手を書く時のボールペンが紙の上を走る感じとか、その時は無茶苦茶日常だったけど今は車もないし小切手もない。

今これを書きながら私のマックのキーボードを走る小ちゃな蟻をタイプの手をとめずに小指で器用にはじき飛ばしてるのも、寝る前にドアにかける幾つもの錠前をチェックするのも、食べ物を食べる前に何となく匂いをかいで暑さでやられてないか確認するのも、外でおばちゃん達がパジャマ姿で雑談してる光景も、そんな昔は非日常だった事が超日常になっている。バイクで街を走っていて信号が近づくと日陰で信号待ちできるように速度調節してパーフェクトな位置で停車できたり、雨の匂いを遠くから感じたら雨合羽着たり、そんな事全く考えずに勝手に体がやってる。昔は一生懸命やっていたアイロンかけや家事一般が今はすべてメイドさん任せでそういう事何も考えなくてもいいこの毎日だって今じゃ全く疑問に思わないけど、よーく考えるとここに来る前まではそんなのは「超非日常」な世界だったはず。

考えたらすごいもんだ。人間の順応力。で、結局どこにいても良い日と悪い日があるわけで、幸せって何だろなー、どこのなんのことなんだろーなー、と思う今日この頃。答えなんてきっとずっとわからないんだろうなー。笑。

9/25/06

トホホな一日と私のオアシス

栄養に気をつけた食事を毎日作ってくれる愛するパートナーのお陰で基本的に病気知らずの私。そんな私を原因不明の突然の発熱と関節痛が襲った。風邪をひいたわけでもなく、朝からめずらしく時々頭痛がするなぁと思っていたその日の夜、友人宅で夕食をごちそうになっていたら突然発熱してぶっ倒れた。びっくりしたのはパートナーと友人。数分前まで普通に会話してた私が突然ダウンしたのだから。とりあえず病院ではなく家のベットで寝たかったので夕食を中断して帰宅。(ここらへんあまり記憶なし)パートナーの介抱でガタガタ震えながも熱冷ましのお薬を飲んでとりあえず眠った。15時間ぶっ続けで寝て目が覚めたらもう翌日の午後。パートナーは留守。<近所のスーパーまで買い物に行ってきます。>との書き置き。

トイレに行こうと起き上がると下の庭で物音がしたので彼が帰ってきたのかなぁ、と思ってフラフラの頭で降りていくと...「げっ?!?誰だこの人?!?」...庭に誰かがいる。朦朧とした頭でドアまで近づいていき開けようとすると鍵がかかっていて大きな音がしてしまった。すると黒い影が庭の木を使って隣の家の屋根によじ登り逃げていく。「あっ...ド、ドロボー。」

でも体が言う事を聞かない。家のドアはパートナーが買い物に行く時に鍵を閉めていったので家の中は大丈夫だとしても庭に置いてあるバイクとかバーベキューとか心配で外に出てみる。でも何も取られた形跡はなし。とりあえずパートナーに電話。まだ熱があるせいで頭の回転が悪く何をしていいのかわからない私。とりあえず、庭に一番近いソファに腰掛けて意味もなく庭のほうを睨んでいたら、ドアの下の隙間に裸足の足が4本見える。うちの前をうろうろしてるのが分かる。もしや犯人か?と思っていたらドアについている小窓(通常この小窓は内側から閉まっているけど、外出時はここの小窓から手をいれて錠前を内側にするのでパートナーが買い物に出た時に開けてあった。)をそっーと開けるではないか。ソファに座ったままじーっとその小窓を睨み続ける私。背の高さと裸足の足から推測して大きくても10代前半くらいの感じ。私と目があって一度バタッと小窓を閉める彼ら。そしてすぐにまた小窓が開いて今度は私を手招きするではないか。<あれ?逃げないの?私と話したいの?!?>どーゆー事じゃ、と警戒しながら近づいていくと2人の少年が「何かが隣の会社の屋根にのってしまったので取りたい。」と言ってくる。子供なんだけど、その目つきがすれた感じに直感的に彼らの話は鵜呑みにしてはいけないと判断した私。

私「さっき家の庭に侵入したのあなた達でしょ。」
少年「っていうかぁ、屋根にのったものが取りたいんだけどぉ。いれてくんない?」
私「なんでさっきうちのドアベル押さないで勝手に入ってくるのよ?勝手に塀よじ登ってきたら泥棒と同じでしょ!非常識!」
少年「ねぇ、おねーさん、ドア開けてよ。取りたいの。」
私「駄目。こっちで調べてなんか見つかったら教えてあげるよ。それかあとで戻ってきてね。」

グワングワンする頭でとりあえず非常識な子供をたしなめる私。そんな私をすれきった目でみてくる彼ら。とりあえず横になりたかったので会話を中断するには小窓を閉めてサヨウナラするしかないと思った私、小窓に手をかざして「バイバイ」しようと思った途端に一人の少年の手が小窓からヌーっと伸びてきた。

一瞬首でも締められるかと思ったら、<グワッ!!>私の左の乳房を鷲掴みにしてくれた。このくそガキっ!!!

まさか泥棒が痴漢になるとは思わなかったのでスキをつかれてその手を掴んで捕まえる事もできなかった。ドアの錠前がかかってるのですぐに外に出て捕まえる事もできない。小窓からみると余裕で歩き去る少年達。ここで彼らが「走り去ったら」まだ子供がスカートめくりするような感じのいたずらに思えてまだ可愛げがあるものの余裕で「歩き去った」のが許せなかった!!!途中で振り返ってニヤニヤしたりしてる。

一瞬の事でショックと怒りと39度の熱で呆然としていると突然雨が。それも豪雨が。
なんか雨音を聞いていたら無性に哀しくなって涙が出てきて独りでワーワー泣いていたらパートナーがゼーゼー息を切らして帰ってきた。事情を説明すると外に飛び出して彼らを探しにいった彼。でも結局みつからずに悔しそうに戻ってきた。

とりあえず盗難の被害は無かったものの地区のセキュリティーに報告しようという事になり大家に電話をかける。ちなみに我々のエリアは高級住宅地ではないけれど、外国人もちらほらいてベトナム人もそこそこお金持ちの人が住む結構いい住宅地である。なんとなく顔に見覚えのある少年たち。近所の子のような気がする。っていう事はお金に不自由してる子供ではなくて単なる「悪ガキ」!?!。

散々な一日。こういう日はすべてを投げ捨ててベトナムにサヨウナラしたくなる。

フィリップよ、一晩中の看病ありがとう。そして今も台所でカタカタコトコトお夕飯を作ってくれているあなた。いい匂い...あー、私の唯一のオアシス。あなたがいるから私はベトナムに住み続けられるのです。ありがとう〜。

なんだか愚痴ってるんだか、惚気てるんだかわからない内容になってしまった。(笑)まぁ、たまにはこういう報告も現実味あっていいかしら。(?!?笑)

9/14/06

Gwangju Biennale & Intra Asia Network(IAN) Workshop


アジア圏の(オーストラリア、ニュージーランドも含む)オルタナティブスペースを結んでもっと活発な協力やアーティストのモビリティーをサポートするためのシステムを築くためここ数年ミーティングが重ねられてきたがそのIntra Asia Network(IAN)のワークショップが今年は韓国の光州とソウルで開催された。

光州ビエナーレのオープニングに合わせてはじまったワークショップ。オープニングには各国からキューレーターやアーティストなどアート関係者が集まって賑わいをみせた。会場にはa little blah blahの名付け親のホウ・ハンルーやシンガポールビエナーレのアーティステック・ディレクターの南條史生氏や評論家の市原研太郎氏らの姿もあった。

3日間のワークショップでは事前に分けられた小さなグループでそれぞれに与えられた課題を話し合ったりと建設的な意見が沢山でたもののやはり政治や経済状況の違う国々すべてをまとめてシステムを作るのはそう簡単な事ではなく、ここ数年話し合っている割にはまだ確固たる形になっていない事に苛立を感じる意見もでた。しかし何度もワークショップやイベントの度に顔を合わせている仲間どうし連帯感はあり、全体的には前向きな雰囲気で終わりを迎えた。とりあえずはウェブサイトという形で多くの人がIANの存在を知り参加できるように「形」作りをする事は決定した。

今後またこのウェブサイトを含めIANの活動に関するアップデートはこのブログ上でもご報告していきたい。

8/28/06

「The Dream Collector」最終インスタレーション by A+A Public Art Unit


7月に始まったドリーム・コレクタープロジェクト。ついに先週の土曜日最終日を迎えた。プロジェクトの内容は以前に紹介したので今回はこの最終インスタレーションに行き着くまでの長い道のりをご報告。

再三このブログでも愚痴っているが、ベトナムでは文化イベントには文化情報省からの許可証が必要になる。でもその許可証を申請するには展覧会場から一筆もらわなければいけない。アートイベントに慣れているところは問題なく一筆書いてくれるが、経験のない会場だと、「許可証をみせてもらわないと書けません!」と言ってくる。(だからぁ〜、許可証もらうためにあなたからの一筆が必要なのぉ〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!)

展示さえできれば会場の詳細はあまり関係ないプロジェクトの場合は適当に会場をおさえて早めに許可証を申請しておく事は可能だが、今回のプロジェクトのように最終的なプロジェクト参加者数や展示スタイルがギリギリまでわからない場合は事前申請は不可能。また申請時には展示作品すべての詳細と写真が必要で(検閲用)進行とともに作品を生み出すプロジェクトの場合はギリギリまで作品ができあがらないので無理!

その他いろいろ問題はあるのだが、今回はジャパンフェスティバルのオフィスからのレターがあったのでスムーズに進行するはず!とほくそ笑んでいたのも束の間、結局申請する事はスケジュール的に無理と判断。

そこで視点を切り替えて、プライベートパーティーという事で話を進める事に。前回中間報告で紹介したサイゴン中心部の病院は最後まですごく協力的だったものの最終的に院長の「プライベートパーティーならば文化情報省からの許可はいりませんけど、でも病院敷地内でのイベントになるので保健衛生省からの許可が必要ですね。」の一言であっさりおしまい。院長にこぎつくまでのプロセス2週間。結局時間の関係でこちらも断念。

こうなったらもう駄目もとでもう一件、政府関係の建物にトライしようじゃないか!という事で「労働文化センターのテニスコートを一日貸し切る計画!!」に変更。周囲からは「許可証なしでは絶対無理無理!」と太鼓判(?!)を押されてのスタート。最初は断られたものの、ねばりにねばった結果賃貸料を払う事でOKになった!アシスタントのトー・ランの交渉力によるところ大!ありがとうトーラン!!!OKはもらって賃貸料のデポジットをおさめたものの、やはり直前シャットダウンという事もありえるなぁ...と心配して当日まで何度も悪夢にうなされた。

そして迎えたインスタレーション当日。朝7時半テニスコート集合。沢山の美術大学の生徒達が手伝いに来てくれて5時間を予定していたインスタレーションは約3時間半で終了。訪越中だったアーティストの一人松坂愛友美さんのご両親が差し入れてくださったおにぎりにボランティアスタッフ一同舌鼓をうつ。午後1時の開場を前に事前に交渉しておいたサトウキビジュースとベトナム風サンドイッチの屋台も到着。愛友美さんとアルバはベトナムの市場でみかけるベトナム人女性がよく着ているパジャマを着てお客様にジュースやサンドイッチをふるまった。

驚くべき事に雨季なのに関わらず一日中晴天に恵まれた。午後1時から5時までのパーティーの間プロジェクト参加者をはじめ多くの方にご足労いただいた。通常自分のかかわっている展覧会のオープニングって案外忙しかったりして心底楽しめなかったりするのに、今回はすごく楽しい土曜日の午後となった。

一夜あけた昨日、スタッフの皆と最後のランチを一緒にして午後の便でアルバはヨーロッパに戻っていった。愛友美さんは9月7日に帰国予定。二人が最後に空港で涙を流しているのをみて一つのプロジェクトが終わったのだなぁ、と感慨深かった。

プロジェクトは一先ず終了したとはいえ、まだカタログ製作が残っている。9月末にカタログ完成予定。乞うご期待!

今回はジャパンフェスティバルの殆どのイベントがハノイだったために我々のプロジェクトがその一環だった感じが薄いのだが、それでもいろいろとレターの作成等でお世話になったジャパンフェスティバル2006実行委員会事務局長の青柳陽一郎さまそしてその他関係者の皆様、大変お世話になりました。ありがとうございました!

8/15/06

ドリーム・コレクター経過報告


7月にスタートしたドリーム・コレクター。40人の参加者を迎えてプロジェクトも残すところ2週間となった。街中のカフェや夕方運動をしに人が集まる公園で参加者を募り、彼らの家に出向きベットシーツを配布。そして一週間後に再会し、その間に参加者がシーツを使って寝た時にみた夢の話をきっかけに対話をはじめる。はじめは他人だったアーティストと参加者が、ベットシーツ配布時には知り合いとして会い、そしてミーティングを通して友達になっていく。言葉の全く通じないケースもあるが一つ一つバリアーをクリアーしていく。こうして集められたサイゴンローカルの言葉は一つ一つ刺繍としてひとまず回収されたベットシーツに施され、40枚のシーツを使ったインスタレーションが26日(土曜日)中心部の病院内にある敷地の並木道をつかって発表される。そしてインスタレーション終了後刺繍のほどこされたベットシーツは参加者に返却される。 松坂愛友美とアルバ・ナバス・サルメロンという2人のそれぞれ個々の活動も活発なアーティストがチームを組んでプロジェクトをする場合はやはりアーティスト間での相違があって当然である。その2人が話し合って1つのものを作り上げていく課程も興味深い。プロジェクトのディテールは9月にカタログにまとめる。8月10日ホーチミン市にあるオーストラリアの大学RMITにてトークも行った。9月6日はベトナム・日本人材協力センター(VJCC)でもトーク+ディスカッションを予定している。

空白を埋めるブログ

私は雑誌でも、アートのカタログでも、友達のブログでも手にした「情報」は隅から隅まで細かーく読む。カタログなどはどこの印刷所が作成したかまでチェックする、笑。それがなんであれ裏に「作り手」「情報発信者」がいると思うとディテールが無視できないのである。ディテールフェチなのだ。ブログの場合は、どういう種類のブログかにもよるが、基本的に「楽しくツラツラと日々の思いを綴っていまーす」調の独り言系ブログなんかは本当はサラリと読み流すのが礼儀なのかもしれない。(笑)でもやっぱり楽しければ楽しいほどドップリと熟読させて頂く。(ははは、今きっと何人かのブロガーのお友達はビビってるかも、笑!?!)

このブログ、当初はもっと日々の事をツラツラダラダラ書いていくつもりだったのが、仕事関係の情報を載せていくうちに何となく微妙に「お行儀のよい」ブログになってきてしまった感がある。ははは。(笑)方向性かえようかな〜。

さてさて、今朝ひとつブログを母から紹介されたので今回はそのお話。身内話で申し訳ないが、私の従姉のブログである。
http://douyou-bi.cocolog-nifty.com/blog/
彼女、歌舞伎の世界でのお仕事を経て職場結婚し、今は3人の子供の母で専業主婦として立派に家を守る。私は日本を離れて11年になるので時折母経由で近況をきき、「えっ、結婚するの?」「えっ、子供生まれるんだぁ〜、ええつ?もう3人目?!」みたいな感じだった。一人っ子の私にとって彼女は子供の頃から夏休みだなんだと一緒に育った実のお姉さんのような存在の一人。知らないなりに知っていると思っていた彼女という存在がブログに綴られた彼女の日々の思いを読んでいくうちに(もちろん細かくすべて読みましたよー、笑)空白を埋めるがごとくに彼女という人がもっともっと3Dになっていく感じで不思議なセンセーションを覚えた。

彼女は自身のプロフィールで「子育てに忙しく行動範囲が狭い代わりに世の中の事情には敏感で。。。」という。たしかに仕事のお陰で世界を案外自由に移動する機会のある私と「行動範囲」だけくらべるならば確かに「狭い」かもしれない。でも私は彼女の日々の地に足のついた生活ぶり、日本という国の中で将来を担う子供を育てながら彼女の考える教育論などインターナショナルにも応用できるものであるし、彼女と「日本」という国の関係を非常に近く感じて正直その張っている根をうらやましく思った。外国に住んでいるとエキサイティングな事も沢山ある。特にうちのように外国人2人(うちのパートナーはオーストラリア人)が外国の都市に住んでいるとすべてがミックスにミックスを重ね、それはそれで面白い色になる。でも張りたくてもどっしり張り切れない「根」があるのも確かでそこに一抹の寂しさを感じる。どんなに家を持って家具をそろえ、仕事もこの国関連でもやはり外国人は外国人。

外国暮らし、特に欧米ではなくて東南アジアだと特にその生活の特異性が増す。日々の会話が「もう、弟がデング熱にかかってぇ〜」とか「最近ネズミがよく石鹸齧って困るのよねぇ。」とか。笑。つい先日もうら若き乙女がカフェで盛り上がった話が「共産主義とマルキシズム」..かた、固すぎる。若々しくないぞー!笑。こんな私にとって従姉の東京子育て日記がどんなに新鮮にキラキラと映った事か...あー隣の芝はいつみても青々してますなぁ...笑。身近な人間が「文章で」語る生活、人生って会ってお喋りする以上にすっごく面白い!!素敵な発見でした!!

7/18/06

「The Dream Collector」A+A Public Art Unit



昨年から企画していたプロジェクトがA+A Public Art Unitをサイゴンに迎えてついに始まった!これから7週間の長丁場である。 A+A Public Art Unitはベルリン在住の日本人アーティスト松坂愛友美とマドリッド在住のAlba Navas Salmeronの2人で構成。そもそも私が2人の活動を知るようになったのは彼らが昨年台北でSoap Projectをしていた時、台湾在住のアートライター・台湾現代美術リサーチャーの岩切みおさんが彼らの活動の様子をブログで紹介していたのがきっかけ。
(澪さんのブログ:http://www.home-room.org/blog/mio/) その後昨年の秋に私がカンファレンスでベルリンにいた時にその同じカンファレンスに来ていたTaipei Artist VillageのYaoさんに会いにきていた愛友美さんに偶然お会いして「あー!澪さんのブログの方ですねー!!」と盛り上がり、その後メールで交流を深めたといういきさつ。澪さん、縁結びありがとうございまーす!

丁度2006年度ジャパンフェスティバルの現代美術のプロジェクトに参加しないかというお声をかけていただいたのと時期が重なり、それではせっかくの日越友好の機会にベトナムのコミュニティーにアートを媒介に入っていけるようなプロジェクトをキューレートできないかと考えていた矢先の出会いだった。

毎回ユニークなアイテムを現地人との交流の媒介に選ぶ彼らだが(過去にはお茶、ゴミ袋、ハーブの植木、石鹸など)、今回はベッドシーツ。彼らの連絡先と引き換えに現地の人に渡して歩き、実際にそのシーツの上で見た夢を定期的に聞いて、それをシーツに刺繍していくというもの。最終的に、その交流プロセスの記録と刺繍されたシーツの展示という形で8月末に発表予定。またプロジェクトの経過は少しずつお伝えしていくのでお楽しみに!

7/13/06

ジョグジャリポート:新プロジェクト「1000 LETTERS」への参加者呼びかけ


5月27日にジョグジャカルタを襲った大地震。大切なお仲間の多いジョグジャ。アートコミュニティーの友人達から送られてくる現地報告に一喜一憂する1ヶ月半が過ぎ、少しずつ状況は落ち着きをみせているようではある。しかし家族や家を失った人々の心に空いた穴は物資配布だけでは埋められない。。。将来にもう希望の光がみえないと感じ自殺をする大人のニュースも度々耳にした。毎晩まだ悪夢にうなされる子供達。今回の地震で学校の校舎が殆ど跡形もなく崩壊した事実は、いかにインドネシア政府が粗悪な材料(砂を大量に混ぜたコンクリート等)で安く公共建設を済ませていたかが明るみにでて地元の人々の怒りとなった。地震発生時が早朝だったこともあり最悪の事態は免れたが、もし子供達が授業中だったら。。。と想像しただけでゾッとする。校舎を無くした子供達は学校教育も一時停止状態。そこで今回我々が義援金を託したスジュットさんや仲間が話し合いのあと思いついたのは物資配送だけでなく被災地の村々を訪れて特に子供を対象にしたアートキャンプの開催だった。本業もアーティストの彼ら。教育もきちんと受けてきた彼ら。自分達の持っているスキルを子供達に還元したいとの思いからである。EARTHFELLOW and CHILDREN & ARTCAMP PROGRAMと題して一般教養だけでなく、ドローイング、染色、写真や陶芸などそれぞれの専門分野をいかしてワークショップを開いている。そのプロジェクトの一環で子供達のグループに使い捨てカメラを与えて「子供達の見た震災後のジョグジャカルタ」をドキュメントしてもらうというワークショップも進行中。この写真は後述する「1000通の手紙」プロジェクトと共に最終的にカタログにまとめる予定。

「1000通の手紙プロジェクト」とは、彼らがプロジェクトを行っている9つの村にいる子供達、合わせて約1000人に手紙を送って励まそう、お友達になろう!という企画。スジュットさんがメンバーのTHE HOUSE OF NATURAL FIBER をはじめ DOING GOOD やYAYASAN ADINDAといった有志が集まって、インドネシア国内や外国の友人達の連絡網を使って参加者を呼びかけている。私とパートナーのフィリップも早速手紙を送ったところ。英語の手紙だと彼らもインドネシア語に訳しやすいが、もちろん日本語の手紙でも私宛に送っていただければ英訳して彼らに送りますのでご心配無用。もしお時間がある方は是非是非短くても構いませんので子供達にメッセージをお願いします!その時にお手紙と一緒にお写真もメールで添付していただける子供達も喜びます。締め切りは9月末。この手紙は最終的にSudjudさんとプロジェクトリーダーの一人でもあるIraさんが編集、彼らのアートグループの Tommy と Istasがデザイン、そして手紙からのインスピレーションをもとにサウンドアーティストの Venzha とRene Lysloffが音楽CDをつくりカタログとしてまとめて11月初旬に出版予定。インドネシア国外でもアーティストとして知名度のあるこのアーティスト集団とコラボできるいい機会でもある。

詳細のお問い合わせや日本語でのお手紙の送り先は:motoko628@gmail.com 郵送の場合は 17/8 Nguyen Huy Tuong, P.6, Q.BT, TP.HCM, VIETNAM , Motoko Uda宛まで。

さて最後になりましたが、今回義援金にご協力していただいたメンバーのご紹介をさせていただくと共にこの場をお借りしてジョグジャ現地の友人を代表して心より感謝の気持ちをお伝え申し上げます。
(敬称略、順不同)
今関和枝、 神田洋美、岸洋子、木村友美、小林理恵、こやま峰子、近藤ヒロミ、坂爪明子、桜井乃武子、清水初枝、鈴木正美、関根律子、田崎、佑子、田中敏郎、田中正夫、中田かおる、中田英久、茄子倉真澄、長谷川靖子、深澤克麿、丸山哲郎、矢田洋子、山本雅江、日本電工(株)の有志、宇田隆人、宇田浩子。義援金送金に際しては、近藤ヒロミ様のご尽力により東京三菱UFJ銀行の原澤隆三郎様のご配慮で、特別に海外送金免除のお手配をいただきました。皆様の温かいご協力に心より感謝申し上げます。 ありがとうございました!!今後もどうぞジョグジャの復興を温かく応援してあげてください。宜しくお願い致します。

7/11/06

transSplash2006!~Jouissance~






6月29日、サイゴンダウンタウンにあるXuというスペースを貸し切って第1回transSplash 2006!を行った。このtransSplashはTanquerayのスポンサーを得て毎年恒例のアートイベントにする予定。6人のアーティスト/グループが今年のテーマ「Jouissance」に基づいて作品を発表した。Jouissanceとはフランス語でいわゆる「快楽/beyond エクスタシー」を意味する。スーと私はキューレーションだけでなくalbbとして作品も提供した。



























ことしの参加者は:Ngo Dinh Truc (lighting sculpture)/ Wonderful Atelier (video projection& lighting installation)/The Propeller Group (video)/Vu Nhat Tan (sound&performance)/ electricfrith (sound performance) and a little blah blah (video/performance/installation)
オープニングには350人以上が集まって(70%ベトナム人&30%在住外国人)作品を楽しんだ。サウンドアーティスト達によるパフォーマンスが終わった10時過ぎからはイギリス人DJ Mark Jollyがテイクオーバーしてダンズパーティーに。

ちなみに我々albbはこのイベントの作品製作のためにオフィスに1週間ビデオ撮影用のセットを設置。18世紀ヴェニスをイメージしたバロックな感じのセットで出演者(スーと私とゲスト)はコスチュームとカツラ、ゲストはマスクまでかぶっての完璧「コスプレ」ウィークとなった。5日間の撮影期間8人のゲストをこのセットに一人ずつ招待して朝から晩までお酒を飲みながら「Physical Pleasure」について語った。撮影中もかなり強行日程だったけれどその後我々を待っていた編集作業はさらに過酷で不眠不休の2週間を過ごしてスーも私も疲れを通り越してスーパーハイ状態に。(笑)とりあえずオープニングに間に合って一安心!この疲労感こそまさしくアーティストにとっては Jouissance !!もう一つバラを使って会場の一室にインスタレーションを創作。ちなみにこれだけのバラ、東京とかで買ったらとんでもなくお高いのでしょうね。ちなみに私達は深夜の花市場を何度も訪れてこのバラすべてで200米ドル!翌日このインスタレーションは崩してまだ綺麗なお花達は近くのお寺に献花した。

7/7/06

どうなるサイゴンオープンシティー?




「サイゴン・オープン・シティー?何の事じゃ?」と思われるかもしれないが、地元の人間でもあまりわかっていないのでご心配なく。これはいろいろゴタゴタ運営で話題だったサイゴン・ビエナーレの名称変更後の名前。

昨年末のカンファレンスで発表された新しいキューレーター、Rirkrit Tiravanija とGridthiya Gaweewong。 しかし、その後何もお知らせがこないので「やっぱりあれも適当な発表だったんだね...」と周囲が忘れかけた頃にワークショップのお知らせが届いた。2人のキューレーターとベトナムのプロジェクトディレクターTran LuongやDinh Q.Leなどの前で招待されたアーティスト達が(注意:ビエナーレへの招待ではなくあくまでもワークショップへの招待)過去の作品を一人ずつ皆の前で紹介するというワークショップ。私はビジュアル・アーティスト兼アーティスト・イニシアティブ a little blah blahのディレクターとして招待を受けた。
ワークショップの始めにコンセプトが紹介された。要旨だけをお伝えすると昨年のカンファレンスで話していた2006年末から2007年初めにかけて40カ国からアーティストを招いてあーだこーだの企画はすっかりなくなり、2年間の長期プロジェクトに変更。2年間を3部にわけて(1) Revelation 2) Reunification 3)Reconstruction、 第一部は小さいエキジビションの組み合わせ、第二部はコミュニティーに根付いたプロジェクトそして最終章に関しての詳細は後日発表。第一部オープニングは11月24日に決定。

ワークショップの翌日に催されたお食事会。サイゴンのオルタナティブスペースやギャラリィー、美術協会の理事などが集まった小さな会。趣旨はキューレーターとサイゴン・オープン・シティーの可能性について語ろう!というもの。財政面(誰がどこまで特定のプロジェクトを支援してくれるのか)等々具体的な質問がでた 。キューレーター達の一つ一つの質問に丁寧に答えようと努める姿勢には好感がもてたが、話がベトナムの歴史、特にベトナム人の戦争観の話(北の人南の人でも随分違うし)に及ぶとやや不勉強さが目立ち、やはり全体的には明瞭さにかける印象を受けた。ベトナムで文化的なイベントをするのは非常に複雑である。現地のマネージメントが強力にバックアップしないとせっかく外国から優秀なキューレーターを招待しても無駄に終わる事も十分に考えられる。オープンシティーのマネージメントは殆ど素人の集まりのようなもの。正直非常に心配である。またアップデートはブログ上で随時ご紹介。

6/6/06

Yogyakartaへの支援金引き続きご協力お願い致します



ジョグジャカルタに今まで何も縁がなかった方からも私のお友達を気遣う温かいメッセージをいただいて感謝しております。メッセージはメールでむこうのお友達に随時伝えております。支援金、引き続き募集いたしております。宜しくご協力お願い致します。

6/2/06

ジョグジャカルタ支援金ご協力のお願い




インドネシアのジャワ島ジョグジャカルタの大地震から6日目。ジョグジャカルタの友人達から入るメールや携帯メッセージでの現地状況報告にまだ一喜一憂している。我が家はテレビを見ないのでテレビでの報道状況はわからないが、インターネットのBBCやCNNなどのニュースサイトを見る限りもうこの地震のニュースはもはや1面ニュースではなく(すでに地震発生後3日後にはトップニュースから外されていた)それだけ世界中でいかに惨事が毎日起きているかという身につまされる現実。

本当は今日出発の便でジャカルタとジョグジャカルタでリサーチの続きを予定していたのだが、アートリサーチどころではない状況なので被災者の方に使って頂けるようにと予定していた旅費・宿泊費を支援金として送った。こちらは毎日心は痛めていても、それでも屋根のある家でお食事も3食きちんといただく事ができる。私の住むサイゴンとジョグジャには時差がないので、毎日食事をする度に、快適なベットで眠りに付く度に、ふと被災者の事を考えずにはいられない。お金を送る事だけが決して解決法ではないけれど、でもわずかでも何か出来る事があれば何もしないよりもいい。数日考えた末に、信頼できる友人のSudjudさん(スジュット)にとりあえず送金してそこから被害のひどいエリアの被災者の方へのサポートや諸々の費用にあててもらうようにした。私の東京の家族も支援金協力してくれた。ありがとう!お金を託される現地の友人もその責任と費やさなければいけない時間と労力とで大変だと思う。でも必ず届いた支援金を有効に使ってくれると信じている。スジュットさんからのメールによると、「今のところはとりあえず出来るだけ多くの被災者に不足している食料物資をバイクや車で直接届けにいく事がトッププライオリティーだが、時の経過と共に被災者の必要とするものも変わるであろうからその変化にも敏感に反応していきたい」と語っていた。ご両親も高校の先生をなさっていて(今はお二人とも他界)、ご本人も大学で教鞭をとっている彼は子供達の教育がこの地震で滞ってしまっている事に非常に不安をもっているようで、当面の物資援助が落ち着いたら子供と学校再開への支援に中心を移していく予定。

下記がスジュットさんの銀行口座。もし支援金ご協力いただける方は直接送金してください。送金後にその旨を日本語で私にメールをいただくか(motoko628@gmail.com)もしくは英語でスジュットさんにお知らせください。(sujud_d@yahoo.com) 
宜しくお願い致します!!

銀行名:Bank Central Asia
支店名:KCP Ahmad Dahlan
口座番号:1691201461
口座保持者名:Andreas Sudjud Dartanto
スウィフト・コード:CENAIDJA
スジュットさん自宅住所:Jl. Letjen.S.Parman no. 66 Yogyakarta, Indonesia
携帯電話 : (+62国番号)816-426-1456
銀行の送金用紙に英語で送金理由を書く場合の参考に:Donation for the People Who Are Affected by the Java Earthquake(ジャワ島地震の被害者への寄付)