12/3/06
サイゴンオープンシティー(SOC) 第1章「解放」開幕...?!?
サイゴンオープンシティー(SOC) 第1章「解放」が微妙な形でスタートした。 開幕一週間前にDinh Q. Leの家でRirkritやJeabと夕食を共にした時点ではまだ文化情報局からは口約束だけで、許可証は受け取っていなかった。特に戦争証跡博物館の使用許可が下りないようでそこで展示予定のアーティストをどうするのか相談していた。 そんな状況下で彼らの妙に達観した(?!)落ち着き具合に不安と同時に一種の安心感も覚えたのは確かだった。「ベトナムみたいな国ではこの展開はしょうがない。政府との問題は騒いでも何もならないものは何もならない!」という彼らのある意味正論に妙に納得もした。「プランBどころではなくプランXまであるから大丈夫!」というRirkritに「もしかしたら何とかなるのかも!」と期待した。
参加アーティストや関係者が来越し始める中、プログラムが公開されず4、5日後に迫っているオープニングなのにいつどこで何が行われるのか全く情報がない。我々ローカルはまだいいとして外国からはるばるやってくるアート関係者の事を思うと気の毒だった。各国のアート関係者からa little blah blahにも「情報乞う!」の連絡が入るが我々も情報がないので答えられない。結局ローカルをすっ飛ばして香港のアジア・アート・アーカイブに先にプログラムが渡り我々ローカルは香港経由で情報を得るという結果に。(笑)
結局、許可証の無いまま11月25日を迎え、予定されていたプレスカンファレンスとプレビューは当日になって中止。デイビット・ロスによるヨーコ・オノ作品解説トーク(?!)のみの開催。これも直前で会場が変更され、おまけに開始時間を早めたため(直前に会場変えるならせめて皆が移動してきても間に合うように開始時間を遅めようよ〜!)見逃した人も多かった。翌26日にSOCスタジオスペースで非公式オープニングが行われたが 戦争証跡博物館に展示予定だった作品がこれまた直前にSOC建物内に変更になったため会場の一部では搬入が進行中という状況。「なぜ直前まで許可証を悠長に待っていたのか?もっと対応策はあったはず」等の厳しい意見が地元を中心に挙る一方で、 海外アート関係者等の目にはこの混沌も歴史的なステップの一過程として面白く映ったようで案外同情的、協力的な空気が大半を占めていたのが意外だった。
まぁ、たしかにお粗末なスタートにはなったが、確かにベトナムのシステムを浮き彫りにする面白い展開ではある。SOCが言っていたようにたしかに文化情報局から口約束はあったようだ。実際ベトナムの共産党のホームページでは「ベトナム国際アート展開催しまぁーす!」なんて情報がアップされていたりする。(笑)SOCオフィスにはハノイの文化情報局の高官から「娘がサイゴンに今いっててねぇ、是非オープニングに行かせたいんだけど招待状を送ってやってくれんかい」なんて問い合わせもあったようだ。(笑)結局トラブルを起こしているのはサイゴンの末端の政府の役人達。結局は自分たちの権力を示す一種のゲームとあとは賄賂が目的なんだろうとの見方が強い。
なんだがボロボロの始まりだが、でも私は個人的に全面的に否定しているわけではない。正直来年に残された第2章、最終章にむけてどう政府の対応が変化していくのか、そしてどこまでSOCが延びていけるのか大きな関心を抱いている。
今回私が批判する事があるとすれば、SOCが口約束を信じすぎて悠長に構えすぎた事。ベトナムでは、この手に欲しいものを掴むかでは口約束なんて無いのも同然。手につかんだって没収されるくらいなんだから。プランZまであると豪語していたわりには最後の最後に会場変更したりして外国からのアーティストは帰国までのわずかな時間でインスタレーションを終えなければいけなかったり気の毒だった。万が一の事を想定してSOCの事務所建物内の環境を整えておくくらいの準備はあっても良かったと思う。
写真:
(上段左から)
1)元サンフランシスコ近代美術館(SF MOMA)館長、David Ross
2)27日に行われたキューレーターと参加アーティストのディスカッション
3)同上ディスカッションの観客
(下段左から)
1)シンガポールからOng Keng Sen、韓国からSunjung Kimがゲスト・スピーカーとして招待
2)25日プレスカンファレンスとプレビューが中止になったので急遽Jeabがプレス関係者等に説明会を実施