10/12/13

AMIモンテッソーリ ディプロマコース(2年間)開始


友人「なんか、一日中こどもたちは好きな事を好きなだけやっていていいんですって。」
私「先生はお教室にいるの?」
友人「そう。」
私「先生は子どもたちが好きな事をやっている間何してるの?」
友人「う〜ん、しらない。」
私「幼稚園の時期って子どもの脳みそも柔らかいし、いろんなこと吸収できる時期にこどもたちにちゃんと寄り添ってしっかりと導いてくれないと困るわよね〜」
友人「そうよね〜」

これがはじめてモンテッソーリのことを教えてくれたお友達と交わした会話である。今になってみるとモンテッソーリに関わる皆さまに土下座してお詫びしたくなる無知さだった。

その後、縁があって我が子をモンテッソーリ、それも本家本元のAMI運営の「こどもの家」に通わせる事になり、その教育方針に間近に触れて<これだっ>と直感的に思い、そしてその後理論を学ぶにつれて確信した。だってまさしく<子どもたちが全てを吸収してしまう時期に(absorbent mind)適した環境を整え、子どもたちの内面から一番適当な時期に自然に沸き上がる興味や感心を大切にして寄り添って導く教育>そのものだったのだから。

2ヶ月間のアシスタントコースも濃厚な内容だったけれど、やはりもっともっと深く知りたいという事で進んだディプロマコース。子育てをないがしろにするわけにはいかないので1年のフルタイムは諦めて2年間のパートタイムに。各3時間の講義が週2回と隔週の土曜日7時間半の実習&講義、そして教育実習&オブザベーションが合計2ヶ月間ほど。ディプロマ取得には筆記、質疑応答、論文、教材作成、などなど乗り越えなければいけない課題が多いけれど、がんばるぞ〜

ちなみに写真はモンテッソーリに関連するリーディングのほんの一部。本当に奥が深いのです!また近況報告します。



7/28/13

Summer Sports Camp


夏休みが始まって10日目。この1週間ルシアンはスポーツキャンプに参加。

ランチを持たせて朝9時に送りとどけ、夕方4時のお迎え時間までのフルデー。

サッカー、クリケット、ラグビーなど盛りだくさんの内容。最年少のルシアンは大きなお兄さん&お姉さんたちに混じって奮闘してました。

こんなに長い時間スクールに預けたことがなかったので最初は半日コースのほうがよいかしらと思いランチ終了を見計らって午後1時に様子を見に行くともう午後のクラスに参加していた息子。遠くから「マミー、午後も残りたいから4時にお迎えにきて〜」と言われ、すごすごとまた家路につく私。そして4時に迎えにいくと「6時までいたい〜」と言い出す始末。(笑)

今までずーっと一緒にいたのでそんな息子の成長の様子が嬉しいやら、一抹の寂しさを感じるような、そんな1週間でした。

1週最終日、コーチの一人が「ルシアンを1週間みましたが、総合的に6〜7歳の子どものレベルの身体能力がありますよ。体つきとかセンスとかは持って生まれたものですから。スポーツをつづけさせるのを勧めます。もっともっと自分の思ったように体が動くようになってきたらルシアンもさらに楽しいと思いますよ。」とフィードバックをくださった。多少のお世辞があったにしても、やはり褒められて嬉しくなり<スポーツ続けさせよう!>と再度誓った母でした。

たしかに思い起こせば、大学院受験前の1年間の塾の講師体験でもスポーツ系の部活を活発に継続している子ほど受験前の追い込みで素晴らしい伸びをみせた。脳科学的にもやはり体を動かす事と知能は深く関係しているのだろうなぁとその時ラストスパートする学生をみて実感したのでした。

さて来週は1〜2日だけスポーツキャンプに参加してその後はエジンバラ旅行。仲の良い友人たちが集まるので楽しみ♡





6/23/13

モンテッソーリ アシスタント資格コース(AMI) 修了




読んだ、書いた、作った、学んだぁ! (^—^)

この2ヶ月は<忙しいほど時間は有効に使える&頭も働く>を実証した実り多き時間だった。

昨日の修了式を迎えて修了証と資格証明書を授与。私にモンテッソーリとの出会いをくれたルシアン、そして私の勉強する環境を支えてくれたオライオン、2人とも参加してくれて迎えた修了式は感慨深かった。

私の子育て(妊娠時代も含め)が始まって以来、内でくすぶっていた学習意欲が久しぶりの学び舎で解き放たれた感じで、自分でも時間を惜しむ事なく課題に取り組む事が出来た。

ディプロマコース(2年間)への進学を検討し始めた矢先にアシスタントコース中に提出した論文の1つが英国モンテッソーリ協会の季刊誌のエディターの目に止まり、一部もしくは全文を将来の誌面で掲載したいので今後相談したいと連絡をもらった。そしてコース終了前にメールで、そして昨日の修了式後に直接コースの担任から私の課題への取り組みとその成果がoutstandingだったこと、そして季刊誌のエディターも含め、講師陣が私がディプロマコースに進むことを検討してほしいと思っていると話してくれた。

今回のコースで学んだ事がすでに私とルシアンの関わりによりよいものをもたらしてくれているだけでも有り難いのに、こんな激励の言葉をいただいて今年9月からのディプロマコース進学がさらに楽しみになってきた。

ところで余談。

コース中に縁があって仲良くなったポーランド人のアガ。英国在住歴もすでに長く、今はフランス人の旦那様との間に3歳になる息子さんがいる。彼女は英国に移住する前はポーランドで教員をしていた。その彼女が英国移住当初就いたのがナニーの仕事だった。離婚調停中の英国人(父親)とフランス人(母親)の家庭に雇われて子どもの面倒をみていた話、その家族(母親と子どもたち)が精神的に揺れている時期に一緒に寄り添って乗り越えた話、そして仕事を辞めた後もそのフランス人の母親とは今でもとても親しくしている話など折に触れて聞いていた。そして昨日の修了式、ルシアンの通う「こどもの家」からも先生たちが式の運営のヘルプなどで出席していた。アガが修了証を受け取った後にルシアンの先生の一人モーポーゴ先生(著名な作家のおじいさまを持つ先生)と熱く涙ながらの抱擁を交わしているのでびっくり。「知り合いだったの?」と聞くと「私は彼女の乳母だったのよ〜」とのこと!あとでモーポーゴ先生も含めて「世間は狭い〜」と大盛り上がり!私にとってアガはロンドンに来てルシアンの学校やオライオンの会社関係以外でできたいろいろお話できる友人としてとても大事な出会い。本当に人の縁って面白い。


5/10/13

ワガママな気持ちとはわかりつつ。。。悔しいぃ〜


(写真:お天気の良かった先週。リージェンツパークにて。) 
 
日付を大勘違いしていたために私の登校日の登校予定時間2時間前に急遽出張になった夫。どうしても夜8時までしか都合がつかなかったいつもお願いしているベビーシッターさん。夜の遅い時間に友人宅に息子を預けるのもためらわれたし、ママ友に急遽シッターさんを紹介してもらって。。とも一瞬よぎったけれど夜の寝る時間の前にいきなり一人のシッターさんからもう一人のシッターさんに変わるのもさすがに順応性のある息子とはいえ負担になるだろうと思いこれは断念。



というわけで週明けの講義は止むなく最初の1時間で早退することに。。。(悔涙)3時間の講義なので2時間分ミス。集中コースなのでその2時間に詰まっている内容は非常に濃い痛恨のミス。ちなみに資格取得の条件が厳しいのであと2時間ミスすると資格はもらえない。



<何故よりによって今日のクラスなの〜>と号泣したくなる程楽しみにしていた「幼児の言語の発達」とそれを促す「モンテッソーリ式言語ゲーム」の講義だった。(溜息)



子育てが理由で行きそびれたパーティーなど社交の場は悔しいと思った事は皆無なのだけれど、今回大事な講義をミスしたのは非常に辛かった。病気早退ならともかく、元気でぴんぴん、やる気もまんまんの心身を家路に向かわせるのは自分でも驚く程気が滅入ることだった。満たされない思い。



でも幼児教育の勉強をしていて自分の子どもをないがしろにしたらそれこそ本末転倒だと自分にい聞かせながら帰宅。帰宅してドアを開けるとシッターさんと大はしゃぎで楽しく遊んでいる息子の声が聞こえた。でも帰宅した私を見ると大喜びで飛びついてきて、それから寝るまでの時間はいつもと同様いっぱい息子とじゃれ合ったり本を読んだりしながら過ごしているうちに気がつけばとっくに悔しい気持ちの8割は吹っ飛んでいた。でもね、やっぱりまだ2割は悔しいのはしょうがない。(ワガママですか、私?)



東京に居た頃は何か急な用があった時は横浜の実家の母たちを頼ることが出来た。母も忙しい人なのにさほどの用事がない限りは都合をつけてくれた。なんとありがたい環境だったのかと今更ながら感謝。



後日、クラスメートの助けで受けられなかったクラスの内容のノートを見せてもらったり、昨晩の実習日に追いつく事ができたので一先ずホッとしたけれど、久しぶりにやり場のないエネルギーを気持ちを持て余した夜だった。



4/28/13

思い起こせば。。。





思い起こせば18年前。アメリカの希望の大学に入るために私は2つのテストを受験した。


私は日本の高校からの進学組だったので留学生の英語力証明のためのTOEFLだけではなくて、米国の高校生が全員受けるSAT(大学進学適性試験)も受験しなければいけなかった。
SATは英語と数学で構成されている。英語はもちろん英語がネイティブの高校生用に作成されているのでとにかく時間内に問題をおえるのに必死だった。ラッキーなことに数学が簡単だったので(日本でいう“算数”のレベル)合格基準のスコアは(何点かは忘れたけど)無事クリア。一方、TOEFLは550以上が入学基準として定められたスコアだった。当時大学院入学に定めたスコアが550のところもあったくらいだから大学で550は高いゴールだった。でも模擬テストなどでテストの形式に慣れたことも手伝ってこちらもクリア。
 

帰国子女でもない日本から来た新大学1年生にしては英語力はあるほうだと自負していた。

しかし実際大学の授業が始まってみると思ったように聞き取れない。人より充分に予習に励んでいっても(リーディング終えるのも必死だったし、涙)その予備知識をもってしても聞き取れるのが半分以下だったりすると本当に悔しかった。


授業を録音して帰宅してまた聞きながら、何度も聞き取れないところを巻き戻して再生して、それでも「はぁ?」って時もあって最初の1年間はクラスメートのノートを借りたり、もう先生の話している内容というよりも声のトーンとか表情、周りのクラスメートのノートを取る忙しそうな音が聞こえると「あっ、ここはきっとテストにも出るポイントなのかな」などと学問とは関係のない部分で単位を取るためにサバイバルするコツを身につけてなんとか乗り切った、笑。


有り難い事に最初の2年は一般教養項目が多くて専門性が薄かったからなんとかなった。そして3年目からは英語力がついていくようになって、“学問としての授業”を楽しめる余裕がやっとでてきた。それでも先生によっては話し方に強い癖があったりして苦戦することもあった。そしてやっと英語を話す事が体と脳みその一部になってきた最終学年、気がつけばもう卒業!


卒業後の人生も私は海外で英語をつかう環境で仕事をしてきたのでこの米国時代は私の人生で大きな役割を持つわけだけれども今更ながらあの時にもっと最初から英語力が伴っていたらどんなに学問的知識が増しただろうかと思う。違うキャリアを目指していた(目指す事ができた)可能性だってある。


人生はずっと勉強、とは良く言ったもので、学ぼうと思えば本をはじめ様々なメディアを駆使すれば独学も可能だと思う。でもやはり素晴らしい教授陣の講義やセミナーで刺激され、またクラスメートとディベートするのは何にも代え難い経験だと思う。


今モンテッソーリのコースに通いながら(大学時代の講義ほどアカデミックではないものの)宿題のリーディングも問題なくこなせ、講義中もノートを詳細に取りながら、同時に先生の話を聞き(大学1年の頃はノートを取り出すと取っている間に先生の話してる次のことを聞き逃してたもの、笑)隣の席の子が落とした鉛筆を拾ってあげながら、先生の話していることに質問も湧き、その質問が今挙手して聞くに値する質問かも判断し。。。要するに講義を聞くためのあくまでもツールである言語(=英語)に足を引っ張られる事がなく集中できることが有り難いと思う。


そして18年前の大学時代、英語が母国語(レベル)として同じ教室で同じ講義を聞いていたクラスメートを思い浮かべながら<あ〜、今の英語力が18年前にあったらさぞかし知識見聞をもっと広げられただろうに>とちょっと悔しく思うのである。


国際社会できて行くための英語力取得を主な目的として留学を検討している人は(親御さんも含め)多いと思うけれど、家族の都合などで10歳前までに海外に移住して子どもの脳で英語を取得できる環境ならともかく、成人の脳みそになってからの場合は、もしかしたら自分の得意の言語でどっぷり深く学べる環境で大学時代を過ごし知識量と共に深く思考する力をつけた上で、大学院など専門性の高いレベルで留学するほうが良いのでは、と最近はよく思う。


高校から英語圏に留学してそのまま現地の大学に入学する場合などは、大学入学時には英語力がネイティブの7割程度はある、という場合もある。しかし必ずしもアドバンテージばかりではなく、中途半端な英語力で(あまり危機感も持たず)そのままずるずると中途半端な知識の取得に終ってしまうことも留学時代に見てきたケースの中ではあるように思う。まぁ、すべてはその本人の向上心にかかってくるので一概には言えないけれど。


時間を戻すことはできないから、ここでぐずぐず言ってもしかたがない。今このタイミングで与えられた学びのチャンスをフルに楽しみたいと心から思う今日この頃なのである。








4/23/13

学生に戻りました〜♪



さて遅ればせながら息子の通うモンテッソーリの「こどもの家」での初学期のご報告。(気にかけてメールくださっていたお友達、お待たせしました!)

学期終了直前に主任の先生との個別面談があった。休みをとった夫と2人でのぞんだ。ナーサリーとはいえ、我が子のいわゆる“学校”関連の場所での「面談」は初めての経験。ドキドキ。

結果は、開口一番「よくぞここまできちんと育ててまいられました。」と始まって具体例を次から次へと出してお褒めいただくばかり。

(オーマイガーッド!嬉涙)

そもそも批判的な事は避けて前向きに子どもを見守る校風だからきっとどの子も褒められているに違いないのだけど(ははは、笑。それがモンテのいいところ〜)、やっぱり身内でも友人でもないもっと客観的な立場の人に改めてお褒めの言葉をいただいたらなんだか日頃の子育ての苦労(!?)も一瞬で労われました。

とくに我が家の場合はヤンチャ盛りの息子に翻弄された時期があって(ピークは彼が2歳10ヶ月の時。忘れもしない。。。苦笑。)あの頃は私本当に心底憔悴していた気がする。お友達ママや家族、ルシアンの習い事の先生などのお力をかりて、一度自分の持っていた頭でっかちになっていた子育て観をかなぐり捨てて、もうどっぷり心底ルシアンに寄り添おうと覚悟したあたりから息子との関係が劇的に変わって、気がついたら子育てを心底楽しませてもらっている自分に気がついたという経緯がある。覚悟を決めてからは案外変化が生まれるのは早かったというのが正直な感想。本当にあの時期ルシアン、そしてそれ以上に新米ママの私の成長を温かく見守ってくれた周囲のひとたちには今でも心から感謝している。

この葛藤の時期に関しては書き始めると長くなってしまうので(笑)今回は詳細には触れず今後機会を見つけて小出しに、笑。でもとにかく子どもをよく観察して腹をくくって寄り添いはじめると子どもの持つ何か(リズムとか心の声とかなんでも)と親の持つそれとがある時アンサンブルのように共鳴し始める感じ。

さて、話はモンテに戻って。。。

モンテッソーリをそもそも選んだ理由はもちろんそのfreedomdisciplineのバランスの良い教育方針、制服がないこと、近くなので通学の負担がないこと(これはラッキーだった!)そして縦割り学級だったからなど理由は幾つもある。特にこの「縦割り」学級は経験してみてとても気に入っている。違う年齢のお友達が同じお教室にいるので一人っ子のルシアンにはとてもよい環境。

学校側がリーダーシップをとって生徒一人一人の自立を促すために“コミュニティーとして”取り組んでいこうという姿勢を先生と話しているうちに強く感じてますますモンテッソーリへの信頼を抱いた。個々を大事にするモンテッソーリの思想と一見反するようで、この“コミュニティー”の中で互いに輝ける個人を育むという発想は本来「社会」ってこうあるべきなのではないかと改めて考えさせてくれる。個々の重要性に傾きがちな風潮の中、個々も失わずに、他を思いやり“持ちつ持たれつ”な部分を大事にする環境って大切だと思う。

子ども同士って本当に面白い。縁があるお友達同士ほど、なんというか「ラブ&ヘイト」な関係がある。(笑)ちょっかい出し合ってみたり、泣かせ合ってみたり、互いに迷惑かけたりかけられたりしながらも底辺では互いを思いやっている関係。子育ての日々のディテール全てが学びの機会になっていると思う。

とにかく毎朝起きて学校に行くのが楽しみな様子で目を輝かせているルシアンをみて<彼に合ったよい学校を選ぶ事ができて良かった>と毎日感謝の思いでいっぱいだった前学期だった。

さぁ、いよいよ明日から新学期スタート!息子共々楽しむぞ〜(^—^)

そして私の近況報告。

待ちに待っていた私の学生生活が遂にスタート。ルシアンの学校の母体でもある英国モンテッソーリ協会(英国唯一のマリア・モンテッソーリ協会AMI公認の学校)のモンテッソーリの資格コース。書類も、面接も無事に通って入学許可おりて昨夜初講義行って参りました。まずはアシスタント資格コースから。

思い起こせば2008年初夏、東京で1年間教育実習までして受験した念願のロンドン大学ゴールドスミス大学院の合格通知とルシアンを身ごもったニュースがほぼ同時に訪れて進学を断念した経緯があるので(ルシアン以上に大事なものはないので、その決断に後悔はもちろんなし;—)当初学びたかったアートセラピーからは学ぶ内容は変わったものの、子育て中の私には実践的な分野で再び学び舎に戻れることが本当に純粋に嬉しい〜♪またこのコースに関してもブログで随時更新予定♪

4/18/13

デートのお誘い

ルシアンの夏学期ももうすぐ始まるというのにまだまだどっぷり脳内はホリデー中。笑。

1ヶ月近い休みなのでどこかに行こうかと一瞬は計画するものの、夫の海外出張や以前から決まっていた来客予定などと日程が合わずに結局ロンドンにずっといた私とルシアン。

でもラッキーな事にスコットランド、カナダ、マレーシア、イギリス国内と毎週のように誰かがゲストルームに居てくれたおかげで我が家にいながら楽しい時が過ごせました。仲間が訪れてくれる限り自宅ホリデーもたまにはいいかも〜。

永遠に明けないかのような冬に絶望の溜息をついていたホリデー前半(4月に入って雪も降ったし!)、そして徐々に春めいてきたお休み後半。今週はご近所の桜も満開。待ってました、春!

そうそう、先日夫が思いついて突然デートに誘ってくれた。急遽シッターさんを頼んで(ルシアンを赤ちゃんの時から知っている大好きなシッターさんなのでご機嫌に送り出してくれましたよ〜ホッ。;—)向かった先はリッツホテル。ここは先日亡くなった元首相サッチャー女史が最期を迎えたホテル。晩年体調を崩して自宅の階段がきつくなった彼女に一晩4000ポンド近いスイートルームを彼女の長年の支援者であるホテルのオーナーが招待して住まわせていたという経緯。彼女が滞在していた期間は半年間にも満たないけれど、彼女もよく利用していたというリッツ内のThe Restaurantで久しぶりに夫婦水入らずゆっくりお食事。彼の仕事の都合で現地で待ち合わせだったので家から一緒に出掛けるよりもデート感も増してなんか嬉しかった。

帰宅してシッターさんからの第一声がボストンマラソンのテロのニュースだったので直ちにどーんっと現実にまた戻ったけど、お出かけ中の数時間は久々に日常空間から離れての夫婦時間。たまには夫婦でちょっとお洒落してデート、いいですなぁ。


1/5/13

ポートレートの落ち着き場所


今から11年前。当時ベトナムのサイゴンで画廊を運営していた私はChristophe Ponsというフランス人画家に出会った。当時彼は3ヶ月くらいの予定でベトナムを旅しながら人々や街をスケッチブックにおさめていた。その素描の早さ、正確さとラインの美しさに腕のあるアーティストだなぁという第一印象を受けた。その彼がサイゴンでポートレートのスタディーをしていた時に私を描いてくれた。今日はその後額装したこのポートレートの落ち着き先の話。

落ち着き先といっても、それは我が家に決まっているのだけれど、さて、どこに飾るか、という問題。

このポートレート、息子が1歳半の頃にはじめて見た時に「マミ〜」と喜んだくらい私の特徴をよくとらえている。ポートレートをじっとみつめると鏡に映る自分と対峙するのとはまた違う、なんだか本当の私よりも人格者のもうひとりの私に心の中を見透かされる感覚に陥る。

世の中には自分の肖像画や写真のポートレートを家中に飾るのがお好きなかたもいるが、私は生憎そういう趣味はない。アンディー・ウォーホルのモンローみたいな肖像画ならばちょっとジョークで置いてみましたという感じにもなるかもしれないが(それでも私はしないけれど、笑)Pons氏の作品はサイズこそA4を少しかける位と小さめでも存在感がある。

でもせっかく思い出の多い素敵な作品。お蔵入りはもったいない。広いお屋敷ならば長い廊下のどこかにとかたまに使うドローイングルームにとか案はいろいろあるのだろうけれど、ロンドンの我が家の限られた空間ではさてどこがいいのか。悩むほどの空間がない。笑。

リビングルームだと<ワタクシがこの家の唯一の主でございます>のような感じになってしまって威圧的。家族で寛ぐ時にいつもそこに私の顔があるのも落ち着かない。来客にとっては右見ても私、左見ても私、ではさらに申し訳ない、笑。夫婦の寝室、自分に見つめられて就寝して良い夢がみれるのだろうか?息子の部屋、「いつもママはあなたを見ていますよ!」という感じでちと怖い。ホームシアターにしている部屋が一番おさまりはいいのかな。でも皆で映画鑑賞してる時にポートレートから笑い声とかすすり泣きとか聞こえてきそう。笑

今は黒い立体の額縁に入っているのだけど額装を思い切ってかえてみようかしら。そうしたら少し威圧感が減るかしら?さて、どうなりますやら。


Christophe Pons 制作風景&インタビューvideo

1/1/13

Happy New Year 2013


新年あけましておめでとうございます

今年は出来るだけたくさん更新したいと思い、「一年の計は元旦にあり」ということで早速更新です。

昨夜、大晦日の夜は小雨降る中、主人の思いつきで夜の11時過ぎに我が家から徒歩で15分のPrimrose Hillに向かいました。

私は出不精で(だからデブになってきた〜なんてシャレにもなりませんね、笑)、本当はお家でぬくぬくしていたかったのですが、一年を「ノー」と言って終えたくなかったのでなんとなく「オーケー」。笑。Primrose Hillはちょっと小高くなっている公園で、ここからテムズ川周辺で打ち上げられる花火を鑑賞。同じ目的で集まってきた老若男女で盛り上がっていました。公園内でも花火をしているグループがあったり、ランタンを飛ばしたりしている人もいて遠くに見える花火と近くで鳴る花火の音と火薬の匂いに包まれて新年を迎えました。出不精の私も重い腰をあげて一端外に出てしまうと人一倍楽しんでいるのですから思いつき行動の多い夫とは良いペアなのかもしれません。

花火に関しては、日本の立体的に発光する花火、そして花火師の情熱を感じる仕掛け花火などで目が肥えているので正直今まで海外で鑑賞した花火は全部なんともお粗末にみえてしまいます。期待が大きすぎるのかしら?なんだかカラフルなカリフラワーがパチパチ炸裂しているみたいにみえてしまって。

家族水入らずで迎える厳かな新年もいいですが、たまには大勢で迎えるのも悪くないですね。

2週間後には渡英後初のルシアンの幼稚園がスタート。我々がルシアンと一緒に選んだのはMaria Montessori School。モンテッソーリの幼稚園はロンドンでも人気があって点在していますが、モンテッソーリ(風)の教材を使えば「モンテッソーリ」と名乗れてしまう実情があってどうせならばベストな所ということでマリア・モンテッソーリ女史自身が認可した団体が運営する本家本元の門を叩きました。ロングウェイティングリストがあるのですが(実際周りにもそれが理由で断られた人もいました)駄目もとで連絡を取ると結構待たされてからお返事が。結局2回の面接のあと、ルシアンの年齢やその他きっと偶然の要因も幾つか重なってめでたく入園許可がおりました。諦めなくて良かったぁ〜!というわけで今年のブログはルシアンの学校も含めて今までとは少し違った話題で書けそうです。乞うご期待?!

笑う門には福来る!で今年一年のぞみます。
Happy new year to you all!

補足:
こちらが昨晩のロンドンアイでの新年花火の模様(これはこれで綺麗ですけど):
ロンドン新年花火2013=BBCより
そしてこちらが私が\期待してしまうレベル:
こうのす花火大会より