12/24/11
ホームスイートホーム―暮らしを彩るかれんな物がたり
美しいひと。地に足のついたひと。という印象は以前から持っていた。
しかし彼女の世界観に深く触れる機会がないままでいた。
偶然手に取った彼女の著書「ホームスイートホーム―暮らしを彩るかれんな物がたり」を読んで彼女の生き方がとても素敵で<お手本にしたい>という感覚を久しぶりに覚えた。彼女の生き方の(もの選びひとつとっても)丁寧だけれど保守的ではなく、自由だけれど折り目の正しい感覚が読んでいて心地よかった。おすすめの良書。余談だけれど、かれんさんの文章、そして巻末におさめられた彼女のお母様である桐島洋子さんの文章を通して、かれんさんのファンになっただけではなく、洋子さんの自由奔放な生きかたや子育てが今までとは違った視点から垣間みれてそれも興味深かった。写真はすべてご主人さまである上田義彦氏によるもの。
ちなみに4年前に出版された「Handmade living 手作りのある暮らし」も同時に注文して読んでみた。私はかれんさんの人となりが深く分かるという意味では前述の著書のほうが好きだが、こちらの本も彼女が実践している手作りのある暮らしが具体的に紹介されていて良いアイディアをくれる本。こちらの写真はオオダエイジ氏撮影。
*「ホームスイートホーム―暮らしを彩るかれんな物がたり」桐島かれん著 上田義彦(写真)アノニマスタジオ
*「Handmade living 手作りのある暮らし」桐島かれん著 オオダエイジ(写真)文化出版局
11/6/11
唱歌・童謡のススメ
音羽ゆりかご会は昭和8年に東京・文京区の護国寺で発足し、日本で最も伝統ある児童合唱団として知られている。戦中から、戦後の間もない時期には「東京放送児童合唱団」として、またアニメソング等のジャンルでは「コロムビアゆりかご会」の名でも広く活躍している。
その音羽ゆりかご会に息子が入会したのがきっかけですっかり私のほうが唱歌・童謡の世界にはまっている。
三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので、子どもの頃母親が口ずさんでいた歌や幼稚園や小学校でみんなと歌っていた童謡や唱歌が心の奥深いところに生きているのを再確認。改めて歌詞を読んでみて、間違った歌詞を長年正しいと思い込んでいたことが判明したりして面白い。
例えば、私は「どんぐりころころ」の歌いだし部分を ♪どんぐりころころ ドングリコ♪ と思い込んでいたら「ドンブリコ」が正しかった。また「七つの子」の♪からす なぜ鳴くの からすは山に♪の後を♪かわいい 七つの子があるからよ♪ と歌っていたが、本当は♪かーわい 七つの子があるからよ♪ とのばして歌うのが正しかった、などなど例を挙げたらきりがない。
読み聞かせの時間に歌詞を息子に音読したり、一緒に大きな声で歌ったりして楽しんでいる。カラオケにもいかないし、特に今まで歌う事に情熱を覚えたことはなかった私だが(プロの歌を聴くのは好きだけれど)、お腹の中から声を出して言葉の美しさを噛み締めながら歌う事の気持ちよさに感動。
息子の先生、3代目海沼実(かいぬま・みのる)先生のご本が解説も面白く素晴らしかったのでご紹介:
*「正しい唱歌・童謡のススメ」海沼実著(音羽ゆりかご会会長、全日本音楽教室指導者連合会会長)ノースランド出版
10/16/11
子育て本
幼い頃から厳しく躾けられて素敵な大人になっている人もいれば、自由奔放に育てられてこれまたとても魅力的な人生を送っている人もいる。
何がベストな子育てかを語るのは一筋縄ではいかない。
以前から黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」のような随筆は子育てに応用できるヒントがちりばめられていて好きだと公言していたけれど、いわゆる子育てのマニュアル的な本を読むなんてくだらないと思っていた。きっと画一的なことが書かれているだろうと思っていたし。(実際そういう本も多いと思う)
息子も2歳8ヶ月になり、しっかりとした自我も芽生えて、すべてがスイートで順調な日もあれば親として壁にぶつかってしまう日も増えた。
そんな時ふとしたきかっけで手にした本2冊にいろいろアイディアをもらった。
「どうやって子どもを愛するか」なんて教えてもらわなくてもわかってるよ!と大きい声で言いたいところだけど、でもただ親本意で愛するだけでは子どもに伝わらない愛ってあるんだなぁ、など基本的な事に気づかされる。小さい時にいかに子どもを“子どもにしっかりと伝わる形で”徹底的に愛せるかを例題も豊富に経験豊かな幼児教育従事者が語ってくれる良書だった。
今でもこれを書いていて実はちょっとこういう子育て本を読んでしまったと告白するのがちょっぴり恥ずかしい。笑。(無駄なプライドが多い私、笑)
でもちょっと行き詰まっているママたちが、ネットでいろいろ検索して偶然にも私のブログに行き着いてくれてこの本の情報を共有することが出来れば嬉しいと思ったので書く事にした。
子どもは十人十色。どの子もたくさん素晴らしい可能性を持って産まれてきているはず。それをどうやってベストな方法で引き出してあげられるか知恵を絞るのは我々親の役目。がんばろう!
*「お母さんのための 日本一わかりやすい男の子の育て方の本」原坂一郎著(元保育士・子育てコンサルタント)PHP研究所
*「あふれるまで愛をそそぐ 6歳までの子育て 〜子どもの心にひびく愛 ひびかない愛〜」本吉 圓子著(NPO子どもの教育・幼児部門代表)株式会社カンゼン
10/15/11
わたしの愛用レシピ本
我が家は基本的にベジ食が好き。
本当は完全ベジにしたいけれど、友人との外食や我が家に肉食派のゲストもよく来る関係上完全に動物性タンパク質にさよならを告げるのもなかなか難しい現実がある。
厳密にいうと、”難しい”というよりも。きっとやはりどこかに心残りがあるのかもしれない。(菜食を続けていると自然に欲さなくなるので、日々確実にその未練も少なくなってきていますが...笑)
以前は「あれも食べません、これもなるべく食べないようにしています。」みたいな人に会うと、なんか「食=人生の楽しみ」の大きな一部分を拒否しているような人たちのように勝手に感じて<なんかお気の毒に〜>と思っていた。そして「私は(選り好みせずに)何でもいただきます!」と誇らしげに言っていた。でも息子が産まれて、食に関してもっと気を配るようになって勉強をはじめると選り好みをしないで何でも食べることの弊害が目につくようになってきた。スイーツにしても白砂糖や乳製品たっぷりのものは自然と避けるようになってきた。だって使わなくても十分に美味しいものが出来るのがわかったから。ちょっと前までは健康を意識したスイーツって”体に良さそう”な味はするけど普通のスイーツに慣れた人間にははっきりいって<これ食べるくらいなら別にスイーツ要らないし>的なものが多かったけど、最近はレシピの種類も多くて本当に美味しいものばかり。無理してる感が全くない。
家族の健康を(“内蔵脂肪の少ない健康な”そして”無駄な脂肪のない見た目にも美しい”肉体だけでなく、”クリアーな思考”や”浮き沈みしない安定した心の状態”など精神面もふくめて)毎日の食事で任されている者としてやはり野菜中心の食事にいきついた。「マクロビでなくちゃ」とか「ヴィーガン」「ベジタリアン」名称にこだわらず、良いところどりで楽しく料理&食事を続けていきたい。
写真は私が日頃よく参考にしている本たち。最近はレシピ検索などウェブでも便利にできるけれど、やはりレシピ本はあるとちょっと時間ができた時にパラパラ眺める事もできるし便利なのでおすすめ。
(左上から)
*「VEGE BOOK Eat Your Vegetables!」Cafe Eight著 リトルモア
*「VEGE BOOK2 Eat Your Vegetables!」Cafe Eight著 リトルモア
*「からだにおいしい野菜の便利帳」板木利隆監修 高橋書店
*「もっとからだにおいしい野菜の便利帳」板木利隆&白鳥早奈英著 高橋書店
*「Practical Cookery VEGETARIAN」PARRAGON PUBLISHING
*「The Self-Healing Cookbook〜Whole Foods to Balance Body, Mind & Moods〜」Kristina Turner (クリスティーナ・ターナー)著 Earthtones Press
*「チャヤの からだにやさしいスイーツ」浅場康司著(シェフ・ド・パティシエ)講談社
10/10/11
復興書店
ポーランドの作家ラファル・ノワコウスキさんの「二つの物語」が復興書店のWords&Bondsに掲載されました。
私も翻訳者としてお手伝いさせていただく機会に恵まれました。とても素敵な作品です:
http://blog.fukkoshoten.com/?cid=33308
復興書店は東北関東大震災復興を書籍で支援するプロジェクトです。その仕組みは下記の通りです。以下は復興書店店長・島田雅彦氏の挨拶文から抜粋です:「作家たちに自著を提供してもらい、それにサインやメッセージを書き込み、プレミア本にして、復興書店に送ってもらう。復興書店は商品リストを作り、ウエッブ上の書店にアップする。あとは読者がお気に入りの本を買う。売上から最小限の管理コストを差し引いた額を日本赤十字社あるいは信頼のおける復興支援団体に寄付する。」
翻訳のお話をくださった増田幸弘さん(「プラハのシュタイナー学校」(白水社)等の著者)が上の作品が掲載されたWords&Bonds部門の編集長役のいしいしんじさんの評を送って下さったので転載します。試行錯誤して仕上げた箇所もあったので良い評価がいただけて訳者としてのお役目が終わってホッとしました。:
「二つの物語」それぞれが、深い印象を残しました。長い夢からさめたばかりのような読後感。いや、いまもまだ夢のかけらがまわりにこぼれ、鈍くきらめいている感じもあります。
夢見草、読み始めてすぐ、そのイマージュのあざやかさに目が喜ぶのを感じました。ぼくがその地にいたことがあるはずがないのに、自転車で風を切る音が頬のそばで鳴っている。裏庭や牧草地のかおりがたちこめてきます。やがてそれらはすべて「記憶」という透明な箱にかこわれ、大切に保存されてきたものだとわかります。小春日和の中、その箱から「わたし」は歩みだし、ずっと遠くまで歩いてきたのですが、ふりむけばその緑の光、風のきらめきがかすかに目に届いてきます。
すでに外の世界へふみでているひと、これからふみだそうというひと、みなに豊かなまどろみを与える、すばらしい散文でした。
砂の味も「記憶」を扱っていますが、それは砂でできています。さらさらとこぼれ、掘っても掘ってもつづいている湿った砂。砂のこぼれたすきまから、母、祖父の声、採掘船のきしみ、ビスワ川の流れがちらほらと垣間見えます。うす黄色の砂場で遊ぶちいさな子どもの背中も。それはもしかすると、「わたし」なのかもしれない。ほら、べそをかいてオモチャを探したり、ガールフレンドの手をとろうかどうしようかまよったりしている。光が砂のようにおりてきてすべてをかくす。わたしはあたりを見まわし、砂のセメントでできた建物群のすきまに立ちつくしながら、いまそうして立っている自分も、砂のようなものであり、はかなく崩れ、流れ去り、周囲に溶けてみえなくなってしまうかもしれない、と感じている。けれどもそれは、時間との一体化ということでもあり、母や祖父や、自分につながるさらに古いひとたちと、深いところで出会う、ということなのかもしれません。
砂を掘る子どもの遊びから、宇宙をのぞき見るような、驚きにみちた作品でした。
また、ジャッジ資子さんの訳文がすばらしく、それぞれ「夢」のような、また「砂」が流れるようなことばを浴び、快感にふるえました。ただ、訳者のことばがうつくしい、というだけでなく、ノワコウスキさんの原文を、現地のかたが読んだらきっとこんなだろう、そういう感じをうけました。うつくしいけれどわざわざ見せつけようとするうつくしさでなく、ごくふつうに語をえらんでいったらこうなった、という自然さ。訳者の透明感が、この日本語での作品をいっそうきわだたせているとおもいます。
7/20/11
wasted シネマ&ピアノ 東京&仙台公演
このブログで度々ご紹介しているアーティスト向井山朋子さんの2年にわたるプロジェクト「wasted」が東京でピアノコンサート&シネマという形で集大成を迎えます。
wastedを巡って、日本人女性たちのインタビュー等を綴ったAliona van der Horst女史のドキュメンタリー映画「Water Children(日本語タイトル:「白い迷宮」)」も同時に日本プレミアします。この映画はすでにオランダでは公開がはじまり各紙で絶賛されています。
私もインタビューされた女性の一人として映画に出演しています。
下記は主催者からのメッセージです:
「2009年に始まったプロジェクト-wastedが新潟のあと、ジョグジャカルタ、ヘーレン、クローニンゲンと巡回し、今夏東京に戻ります。
今回は展覧会ではなく、ピアノコンサートとプロジェクトをドキュメントした映画上映を同時企画。
バッハの「ゴルドベルグ変奏曲」を中心に皆様からいただいたフィードバックを織り込んだユニークなピアノコンサート。後半は2年以上掛けて制作されたアリオナ・ヴァン・デル・ホルスト女史のドキュメンタリーフィルム「白い迷路」を特別上映します。日本の自然をバックにしたwastedの展覧会の様子、日本女性とのインタヴュー、生の尊さ、女性である事の喜びと痛みが感動的に記録されています。
ドキュメンタリー「白い迷路」予告編
http://www.youtube.com/watch?v=Eq5L1iboQyE 」
4/16/11
「東北のともだち (Friends of Tohoku)」at Galerie Quynh
image: courtesy of Galerie Quynh
ティファニー・チュンとパメラ・コリーが共同で主催する企画展「東北のともだち (Friends of Tohoku)」がベトナム・ホーチミン市のGalerie Quynhで昨日から開催中。収益金は日本赤十字社を通して被災者支援活動に寄付されます。
何か、日本のためにしたい!と立ち上がってくれた友人たちに感謝の気持ちで一杯でひとりでも多くの人が参加してくれれば良いと願っています。
しかし、水を差すようで嫌なのですが、ひとつだけ言いたいことが。
私のベトナムでの長年のパートナー、Sue Hajduは私が知りうる限り、このチャリティーの参加者の誰よりも日本との関わりが強いアーティストです。そしてまさに地震さえ起こっていなければまさしく今、南三陸町や八戸で昨年に引き続きアートプロジェクト開催中でした。彼女にとっては仙台や南三陸など昨年滞在してたくさんの友人を作ったエリアの被災は大きなショックで彼女の心痛は相当なものです。彼女は今年の夏以降に来日してアートを通じて(もしくはアート活動以外でも)何か被災者に貢献したいと今いろいろと計画を立てています。
その彼女がこのチャリティーのリストに入っていなかったので、早速確認したら彼女はこの展示会の存在すら聞かされていなかったとのこと。同じ街に住んでいて、誰もが彼女の日本との関わりは知っているのに。
結局彼女の見解では、キュレーターというよりも、その背後にいる人物との過去の芸術的意見の相違で摩擦が起きたことなどが原因だそう。こういう機会にまたサイゴンのあの狭ーいアート界の政治を見せつけられて嫌悪というよりもシラーっとしてしまった私です。
まぁ、これはあくまでも展示会関係者のごくごく一部の権力がある人とのいざこざであって、参加アーティストのほとんどは日本のことを心から思ってくれている人たちです〜!
詳細は下記から:
Tohoku no Tomodachi
Friends of Tohoku - Art Fundraiser for Japan
Những người bạn của Tohoku - Triển Lãm Mỹ Thuật Gây Quỹ vì Nhật Bản
April 15 - 29, 2011 / Galerie Quynh, 65 De Tham St, Dist 1, HCMC
Please join our opening reception on Friday, April 15, 6-8pm and show your support for Japan! Exhibition continues to April 29.
4月15日午後6時からのオープニングレセプションに是非おいでください。また29日までの展示も是非ご覧下さい。
Xin mời mọi người đến tham dự khai mạc triển lãm vào thứ Sáu,15 tháng 4, từ 6-8pm để ủng hộ và đóng góp cho triển lãm gây quỹ vì Nhật Bản. Triển lãm kéo dài đến 29 tháng 4.
In response to the recent disasters that have struck Japan, seventeen artists from Vietnam as well as the international community have contributed artworks to raise money for Red Cross Japan. These artworks, comprising various media including painting, drawing, installation, photo and video, will be shown in the exhibition “Tohoku no Tomodachi (Friends of Tohoku): Art Fundraiser for Japan,” organized by Tiffany Chung and Pamela Corey in collaboration with Galerie Quynh. From April 15 -29, works by this group of artists will be available for purchase (with prices ranging from US$300 to US$10,000) and 100% of proceeds from sales will go to Red Cross Japan.
3月11日に日本を襲った東北地方太平洋沖地震の被災者救済のために、ベトナムおよび世界で活躍する多数のアーティストが協賛、無償で作品を提供し、ベトナム・ホーチミンにてエキシビションを開催いたします。
協力会場のギャラリークィンでは、17名のアーティストから提供される様々な作品(絵画、インスタレーション、ビデオなど、300〜10,000USD)が展示販売され、収益は全て日本赤十字社に寄付されます。
ティファニー・チュンとパメラ・コリーが共同で主催する企画展「東北のともだち (Friends of Tohoku)」へぜひご来場下さい。
Hưởng ứng lời kêu gọi từ những thảm họa đã tấn công Nhật Bản gần đây, mười bảy nghệ sĩ Việt Nam cũng như cộng đồng nghệ sĩ quốc tế đã đem tác phẩm của mình để bán gây quỹ cho Hội Chữ Thập Đỏ Nhật Bản. Những tác phẩm này bao gồm nhiều thể loại như tranh sơn dầu, tranh vẽ nét, sắp đặt, nhiếp ảnh và video sẽ được trình bày trong triển lãm mang tên ‘Tohoku no Tomodachi (Những người bạn của Tohoku): Triển Lãm Mỹ Thuật Gây Quỹ vì Nhật Bản’ được tổ chức bởi Tiffany Chung và Pamela Corey, cùng cộng tác với Galerie Quynh. Từ ngày 15 tới 29, các tác phẩm sẽ được bán (với mức giá từ US$300 tới US$10,000) và 100% số tiền thu được sẽ được chuyển tới Hội Chữ Thập Đỏ Nhật Bản.
■Participating artists / 参加アーティスト / Các nghệ sĩ tham gia:
Bùi Công Khánh (Vietnam) / Tiffany Chung (Vietnam/USA) / Đỗ Hoàng Tường (Vietnam) / Hoàng Dương Cầm (Vietnam) / Goh Ideta (Japan) / Roslisham Ismail a.k.a. Ise (Malaysia) / Đinh Q. Lê (Vietnam/USA) / Sandrine Llouquet (Vietnam/France) / Tea Mäkipää (Finland/Germany) / Michikazu Matsune (Japan/Austria) / Nguyễn Tấn Cương (Vietnam) / Nguyễn Kim Tố Lan (Vietnam) / Nguyễn Trung (Vietnam) / Nguyễn Đức Tú (Vietnam) / Sudsiri Pui-ock (Thailand) / Keisuke Takahashi (Off-Nibroll, Japan) / Mikuni Yanaihara (Off-Nibroll, Japan)
In conjunction with the exhibition at Galerie Quynh, there will also be original creations by fashion designers Chương Đặng (Vietnam) and Chương Phạm (Vietnam/USA) available for sale at the gallery, from which all profits will be donated to Red Cross Japan.
ギャラリークィンではこのエキシビションと平行して、ファッションデザイナーのチュン・ダンとチュン・パムから提供された作品も販売され、収益は日本赤十字社に寄付されます。
Kết hợp với triển lãm tại Galerie Quỳnh cũng sẽ có những thiết kế của các nhà thiết kế thời trang Chương Đặng (Việt Nam) và Chương Phạm (Việt Nam/Mỹ) sẽ được bày bán tại tại phòng tranh, và tất cả các lợi nhuận thu được sẽ được quyên góp cho Hội Chữ Thập Đỏ Nhật Bản.
Contact / Liên hệ: Julie Dao Duy or Tung Mai(English & Vietnamese / 英語・ベトナム語)
◇ tel/fax: +84 8 3836 8019 ◇ info@galeriequynh.com ◇ www.galeriequynh.com
◇ Gallery Hours: Tuesday - Saturday, 10am - 6pm
◇ giờ mở cửa: thứ 3 tới thứ 7, 10h sáng tới 6h tối ◇ オープン時間10am−6pm(日・月休)
4/15/11
騙した人 騙された人
こういう形でブログに掲載していいのかためらいましたが、すでにネット上で評判になり様々なところで閲覧が進んでいるので掲載を決めました。今読むことに意味があると思ったからです。もし掲載に問題があるようでしたらmotoko628@gmail.comまでご連絡ください。すぐに削除します。ちなみに青空文庫のリンクはこちらです:http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/card43873.html
「戦争責任者の問題」
by 伊丹万作
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れられない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたらとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりとしているのである。
いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念をもちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。
戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。このばか正直をわらう人はわらうがいい。
このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発企人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
しからば私のほうには全然いい分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する破目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疏通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
(『映画春秋』昭和二十一年八月号)
「戦争責任者の問題」
by 伊丹万作
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れられない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたらとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりとしているのである。
いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念をもちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。
戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。このばか正直をわらう人はわらうがいい。
このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発企人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
しからば私のほうには全然いい分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する破目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疏通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
(『映画春秋』昭和二十一年八月号)
4/13/11
絵本の家 Ehon House 〜海外絵本とカフェの店〜 in目白
近所をお散歩中に、素敵な本屋さんみつけましたぁ!
海外の絵本を扱う専門店。もともとは本屋さんに輸入絵本を卸すだけの会社だったのが、ショールームもオープンしたそう。本だけでなくて、素敵なポストカードやぬいぐるみなどもあってとにかく店内を見ているだけで楽しい楽しい♥
英語の本だけでなくドイツ語、フランス語、ペルシャ語、ハングル語,etc, ベトナムの絵本まであって、とにかくすごい品揃え。
目白駅から千登世橋に向かって徒歩5〜6分。目白通りにあって、学習院大学のすぐ近くです。
営業時間:平日12:00~18:00, 週末&祝日11:00~18:00
定休日:年中無休(年末年始を除く)
詳細はウェブサイトから:http://www.ehon-house.co.jp/
4/8/11
これから。
昨夜強い余震があった。東北では亡くなられた方、そして負傷者がまた多く出た。宮城県の友人の話では、今までなんとかもっていた彼女の会社の社員宅は昨日の余震でついに倒壊したそうだ。原発の問題も引き続きあるし、昨日は余震の影響で宮城県の女川原発でもあわや事故か?!というさま。大震災から約1ヶ月。まだ緊張の日々は続く。
でもそんな中でも子供は着々と成長し、バルコニーの花は芽吹き、近所の桜は満開になる。
春うららかな日に東京の街を歩いていると一ヶ月前の震災などすべてのことが一瞬すべてまぼろしだったかとさえ思える瞬間がある。
でもしっかりとそこにはみんなで力を合わせて対処していかなければいけない課題がたくさんある。これからだ。すべては。
4/7/11
放射能関連情報
image by Zac Neulieb
東京コメディストアの創設者であり、現ディレクターのChris Wells。彼のナレーターとしての仕事は定評があり、テレビのドキュメンタリーや企業CMなど多方面で活躍しているので声だけでも聞いたことがある人は多いかもしれません。
その彼が今回の放射能関連の情報をよくまとめたものが手に入ったので転載します。
原子力の専門家ではない彼ですが、とても分かりやすく状況説明していると思いました。
原文のままなので英語のみになってしまいます。時間ができたら翻訳したいと思ってはいますが、今のところ時間がありません。取り急ぎ英語だけでも掲載します。
以下Chris Wells氏の文章:
Living in Tokyo these days
Regarding the risks of radioactive particles in the atmosphere, I think there are a few misunderstandings causing smart people to talk past each other, both on my wall and friend's walls, as well as in the press.
Just yesterday, two people on a friend's wall were having a discussion that I followed with great interest. One was arguing that background radiation levels indicated Tokyo was safe. The other was saying that nobody knows the dangers brought about by fallout, or particulate matter that is radioactive, particularly fission byproducts like Cesium. I think they were both right, just focusing on different parts of the situation.
I wrote this to try and clear things up in my own head- any thoughts backed up by links to reputable sources would be appreciated.
Naturally occurring radioactive substances vs. fallout.
First, to get us all on the same page, this is how Geiger counters work:
http://en.wikipedia.org/wiki/Geiger_counter
After reading that we all know that everyday "background radiation" is measured by particles of radioactive material in the air brought about mainly by naturally occurring radioactive material in the ground, but also coal mining, bombs dropped years ago, and other industrial processes.
"Fallout" is what we call radioactive particles created by humans in bombs or power plants.
So, "background radiation" is caused by mainly natural sources of radioactive particles plus some old fallout that's become part of the modern environment, and what we call "fallout" is caused by human-made particles of more recent vintage.
The question is, is that a distinction without a difference? It is not. The danger is that the man-made particles can be extremely dangerous, more dangerous than most naturally-occurring particles, and that is what everyone's worried about. It's also why we have two different ways of referring to radioactivity in the atmosphere.
The next question is, how exposed are people to these particles? In what concentrations? Confusion arises when we forget that concentrations in the vast atmosphere on earth expressed by geiger counters must then be converted into oncological probabilities for them to have any actual meaning in our daily lives.
Radioactive cows.
For example, closer to Fukushima, Kyodo News reported that some beef was found to contain radioactive substances 10% higher than the legal limit, but upon retesting the Japanese Health Ministry reported that the first reading was wrong and there was no need to worry, something that has raised a few eyebrows. Those cows with the disappearing Cesium were in trouble before they were slaughtered and examined if they really were contaminated, agreed. From what I've read, the cows would have passed the water-soluble Cesium out of their system in a few months. How big a dose they would have received during that time and its effects would vary by cow. But humans are not cows, and the primary ingestion route of chewing on grass for hours on end is not an issue for us, as long as we don't eat their flesh or drink their milk.
So, even if the cows 70 kilometers away from Fukushima had dangerous levels, it is entirely feasible that the farmers tending to them did not. That they washed off the radioactive particles in the shower. But, and here's the rub, there is a chance that a particle or two got into their bodies. This would not be good at all and could lead to cancer. What is that probability? That is what we are discussing here. And nobody is quite certain.
Background radiation vs. individual radioactive particles.
The use of background radiation is a stand-in for probability, something all the specialists in the field are aware of, have thought about for decades, and too often do not successfully articulate to the public. What they mean when they reassure us with those numbers is that they estimate that the statistical probability of someone in, say Tokyo, ingesting a particle and then years later dying of cancer is negligible.
They are not lying, they are not not telling us the truth. They are going by the best science they have, which is, as has been correctly point out, not as conclusive as many of us would want. We don't know for sure- that's what I keep reading about extremely low-level exposure to radioactive particles in the atmosphere around us. (Not to be confused with low-level exposure to radiation, which seems to have very little effect, and is a completely different topic. This distinction is almost never made in the press.)
It's almost as though we are discussing light and flipping between describing it as a wave and a particle, without letting people know when we're changing perspectives. As abstract oncological probabilities go, background radiation readings are comforting. But when we then focus in on actual ingestion of radioactive particulate matter, things get scarier.
But all of us do ingest things like radioactive iodine, radon and even cesium on a daily basis, just in vanishingly small amounts. Our bodies are not in a pristine, radioactivity-free state. And so we need to think in terms of oncological probabilities, or the stochastic effects of exposure miles away from the source.
And how about for Tokyoites?
But what exactly are the chances that one of us here in Tokyo ingested a particle of Cesium on the days when it was in the air in Tokyo in extremely low amounts? I think what the experts are trying to tell us is that it does not rise above the level of danger presented by all of the other carcinogens we constantly breathe in in this big city. So it is not zero. But it is not raising our cancer risks statistically.
Cold comfort if you happen to be the person who is affected! But by living here we are all increasing our risk of lung cancer, etc., simply due to the atmosphere of a big city. The anthropogenic and highly unusual nature of the threat being discussed certainly raises our levels of caution, as it should, and I think that's a healthy response.
Up further north? I wouldn't want to be within, say, 100 miles of that plant. There is a bullseye around that disaster, with each ring towards the center increasing the chance of a "man-ichi"/highly improbable health effect, all the way down to standing in water that will kill you in minutes. I wouldn't want to take the chance. If a plant closer to Tokyo had a similar problem, I'd be thinking seriously about whether to stay here.
Down here, I look at it this way: What are the chances of me breathing in a single molecule of water emitted by an onsen in Fukushima? Not zero. But not probable. Whether or not that's comforting to each of us depends on our nature. The risk is not zero, and honestly will never be for anyone on the planet. That's why I'm staying here. But if those geiger counters go up, I won't ignore that data, either.
Sources:
Beef story: http://english.kyodonews.jp/news/2011/04/82608.html
I'm really using general knowledge gleaned from many sites, but the EPA covers just about everything regarding radiation on its website:
http://www.epa.gov/radiation/index.html
PS: These were just published in the NYT yesterday- I read them after I wrote this note, and they summarize the basic information and don't contradict anything above. But again, they don't quite get to the point the way someone actually living here in Tokyo would like. Seems nobody knows if the very good study involving Hiroshima survivors is applicable to our situation.
http://www.nytimes.com/2011/04/05/health/05primer.html?src=recg
http://www.nytimes.com/2011/04/05/health/05radiation.html?src=recg
And this from the Guardian:
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/apr/05
4/4/11
チャリティーコンサートのお知らせ
image by Rob Dobi
私が東京本部副代表を努める非営利団体LAFFOO(ラフー)では、毎年アジア(現在はヴェトナム、ネパールとカンボジア)の子どもたちへの教育支援のために東京と関西(大阪)でチャリティーコンサートを開催して参りました。
この度の東日本大震災により被災した日本の子どもたちに微力でも支援できましたらと関西支部の提案により「LAFFOOさくら基金」を新たな支援として設立させていただくことにいたしました。
多くのネットワークを駆使し、被災地の子ども達の実情を把握し、慎重に支援内容を決めて参りたいと考えております。
今年のLAFFOOチャリティーコンサートの開催は下記の予定でございます。
◎ 6月30日(木) 東京・サントリーホール(小ホール)
◎ 11月 3日(祝)関西支部・ホテル日航大阪
6月のコンサートの収益金は全額震災の復興支援プロジェクトに寄付、そして11月以降のコンサートからも収益金の一部を継続的に寄付してまいります。
少しでも多くの支援ができますよう、皆様のご参加とお力添えを心よりお願い申しあげます。
詳細はラフーオフィシャルブログをご参照ください:
http://laffoo.blogspot.com/
3/15/11
東日本大震災
3月11日に東北、関東を襲った大震災。
当日私は出先から帰宅途中でした。眠ってしまったルシアンを抱っこしてマンションのある道を歩いていたら、エントランスまであと50mくらいのところで大地がグワングワンうねり始めました。かろうじて立っていることは出来ましたが、息子の安全のために安全なところに移動してしゃがみました。そこからは、高層ビルの自宅のあるマンションが左右にうねっているのが見えました。
しばらく続いた揺れのあと念のためしばらく外で待機していました。建物の安全が確認されてから自宅に戻ると、高層ビルの下層階にある我が家は本やCDが棚からいくつか落ちただけで何も被害はありませんでした。上層階では壁に大きなヒビが入ったりしたそうです。
その後夫が無事に帰宅し、TVのニュースで東北の津波の惨事を見て言葉がでませんでした。乳幼児を抱えたご家族、妊婦さん、ご高齢のかた、慢性のお病気をお持ちのかた、食料も水も充分に行き渡らない避難所で不安そうにしていらっしゃる様子をみて涙がでました。愛する家族が見つからないかたなどご自分は助かっても生きていることが辛いと感じるかたもいると思います。
家族が揃っていて、屋根のあるところにいて、食料、水、ガス(すぐに復旧しました)、電気のある今の状況がなんとありがたいことか。感謝しきれない気持ちと、全てを失ったかたたちに申し訳ない気がします。節電をする、不要な買い占めなどしない、などとりあえず今ここからできることに努めています。そして今後何ができるかを考えていきたいです。
そして今、福島原発の脅威。福島原発でつくられる電気は福島県のかたは一切享受していないということを今回のことで知りました。ことあるごとに<原子力発電所反対!>なんて言っていても、その恩恵にあずかっていたのは首都圏にすむ我が家のような一般家庭や企業たちだったんです。オール電化で便利になったねぇ、なんて喜んでいたのもすべてはこの福島原発のようなところで生まれる電力があったから。避難勧告や自宅避難を余儀なくされている近隣住民のかたたちの不安を考えるといてもたってもいられない、でも何からしていいのかわからない。もどかしいです。
とにかく有益な情報がありそうな時は主にツイッター(ネーム:motokonoko)で回覧できるようにしています。
外国の友人達にも現状をしって欲しいのでフェイスブック(ネーム:motoko uda)で近況を随時アップしています。
もしご興味があればフォローしていただければと思います。
最後に、ツイッターで友人が送って来た言葉が今とても大切なメッセージだと思いましたのでここでシェアさせていただきます:
「人は「+」の事も「-」の事も口から言う。「吐く」という字は口と±(プラスマイナス)からできてる。だけど、苦しい時や夢や希望がある時にマイナスな事を言わないでみよう。すると「-」が無くなって「叶」という字ができる。夢や希望は「叶う」」
みなさま、くれぐれもお気をつけてお過ごしください。
当日私は出先から帰宅途中でした。眠ってしまったルシアンを抱っこしてマンションのある道を歩いていたら、エントランスまであと50mくらいのところで大地がグワングワンうねり始めました。かろうじて立っていることは出来ましたが、息子の安全のために安全なところに移動してしゃがみました。そこからは、高層ビルの自宅のあるマンションが左右にうねっているのが見えました。
しばらく続いた揺れのあと念のためしばらく外で待機していました。建物の安全が確認されてから自宅に戻ると、高層ビルの下層階にある我が家は本やCDが棚からいくつか落ちただけで何も被害はありませんでした。上層階では壁に大きなヒビが入ったりしたそうです。
その後夫が無事に帰宅し、TVのニュースで東北の津波の惨事を見て言葉がでませんでした。乳幼児を抱えたご家族、妊婦さん、ご高齢のかた、慢性のお病気をお持ちのかた、食料も水も充分に行き渡らない避難所で不安そうにしていらっしゃる様子をみて涙がでました。愛する家族が見つからないかたなどご自分は助かっても生きていることが辛いと感じるかたもいると思います。
家族が揃っていて、屋根のあるところにいて、食料、水、ガス(すぐに復旧しました)、電気のある今の状況がなんとありがたいことか。感謝しきれない気持ちと、全てを失ったかたたちに申し訳ない気がします。節電をする、不要な買い占めなどしない、などとりあえず今ここからできることに努めています。そして今後何ができるかを考えていきたいです。
そして今、福島原発の脅威。福島原発でつくられる電気は福島県のかたは一切享受していないということを今回のことで知りました。ことあるごとに<原子力発電所反対!>なんて言っていても、その恩恵にあずかっていたのは首都圏にすむ我が家のような一般家庭や企業たちだったんです。オール電化で便利になったねぇ、なんて喜んでいたのもすべてはこの福島原発のようなところで生まれる電力があったから。避難勧告や自宅避難を余儀なくされている近隣住民のかたたちの不安を考えるといてもたってもいられない、でも何からしていいのかわからない。もどかしいです。
とにかく有益な情報がありそうな時は主にツイッター(ネーム:motokonoko)で回覧できるようにしています。
外国の友人達にも現状をしって欲しいのでフェイスブック(ネーム:motoko uda)で近況を随時アップしています。
もしご興味があればフォローしていただければと思います。
最後に、ツイッターで友人が送って来た言葉が今とても大切なメッセージだと思いましたのでここでシェアさせていただきます:
「人は「+」の事も「-」の事も口から言う。「吐く」という字は口と±(プラスマイナス)からできてる。だけど、苦しい時や夢や希望がある時にマイナスな事を言わないでみよう。すると「-」が無くなって「叶」という字ができる。夢や希望は「叶う」」
みなさま、くれぐれもお気をつけてお過ごしください。
1/20/11
Viva 現代音楽 !
音楽の専門知識のない私だけれども、現代音楽は面白くってしょうがない。
語りかけて来てくれるものも稀にあれば、解りたいと思って近寄れば近寄る程ドーンっとつきはなされるもの、それでげんなりしてもう聞きたくなくなるものもあれば、突き放されればそうされるほど吸い寄せられるようにまた聞き入ってしまうもの...クラシック音楽に比べて、すごくクセのある人間と接しているような感覚。どんなに親しくなっても壁がある感じ。それが電子音的な一般的な「人間的」なイメージからかけ離れた旋律の曲でも、やはりそう感じるから不思議。
このブログでも何度も登場しているけれど、私を現代音楽の魅力に目覚めさせてくれたのはアムステルダム在住の音楽家&美術家、向井山朋子さんの存在が大きい。
その彼女が先日一曲の演奏のために来日した。その一曲は権代敦彦作曲「ゼローピアノとオーケストラのための 作品95」
1月18日、サントリーホールで東京都交響楽団と共演。
映画を見ているような立体的な作品で圧倒された。良質の戦争映画を見終えた時のような倦怠感が残った。ドシンと重く存在感があるのに、手にとろうとすると掴めない感じ。
終演後、朋子さんをはじめ作曲家や楽団員のかたなど交えてアフターパーティー。コンサート中は託児サービスに預けていたルシアンも今日は特別夜遅くまで参加。指揮者のJonathan Stockhammerさんもいらして楽しいひととき。
他のお仕事の打ち合わせ後にコンサートをご一緒したミュージカル俳優の鈴木綜馬さんも朋子さんたちにご紹介できて良かった!クリエイティブなお仕事をなさっている方達は意気投合するのも早い!(^ー^)
今年は何回ライブで現代音楽堪能できるかな?早くルシアンも大きくなって一緒に聴けるといいのにな〜!
1/2/11
2011 謹賀新年
2011年、明けましておめでとうございます。
年末年始はお天気も良くて心も軽やかに新年を迎えました。
さて、今年最初のブログは昨年亡くなった私の大好きな女性2人を偲ぶことから始めます。
一芸に秀でた人は、他にも多くの才能を持っていることが多いもの...。
2010年11月5日に亡くなった佐野洋子さん、そして12月28日に逝かれた高峰秀子さんはわたしにとって憧れの人生の先輩。
佐野洋子さんの作品「百万回生きた猫」との最初の出会いは幼稚園入園前のころ。急性腎炎とアレルギー性紫斑病で入院していたときにお見舞いに頂いた絵本がきっかけでした。読んだ事があるかたはわかると思いますが、内容はなかなか大人をうならせる深いもの。「死」が随所に描かれているので母は私に読み聞かせるタイミングを考えてしまった、と後で聞きました。あまりに幼なかったので最初の読後感は実は記憶にないのですが、その後わたしの人生で何度となく読んだ一冊。その彼女の他の著書にはまったのは高校生の頃だったと思います。その後は新しい随筆集がでるたびに買い求め、彼女の歯に衣着せぬ気持ちのよい文章、洞察力、その生き方にしびれました。
そして高峰秀子さん。通称デコちゃん。彼女が銀幕のスターであった時を私はタイムリーには知りません。たまたま母からもらった彼女の自伝「わたしの渡世日記(上)(下)」で彼女の大ファンに!とにかく生き様がひたすら潔い!そして豊富な語彙と無駄のない洗練された文章に夢中になりました。新しい随筆集を手にするたびにどんどんファンになりました。一昨年出版された齋藤明美氏の著書「高峰秀子の流儀」も彼女を知るきっかけには良い一冊かもしれません。
彼女たちの極上のエッセイにひとりでも多くの人が出会う機会があればよいと思い、下記に著書の一部のリストを掲載します!:
<佐野洋子著作一部>
わたしが妹だったとき 偕成社、1982
私の猫たち許してほしい リブロポート、1982 のちちくま文庫
アカシア・からたち・麦畑 文化出版局、1983 のちちくま文庫
ほんの豚ですが 白泉社, 1983 のち中公文庫
猫ばっか 佐野洋子の世界 講談社 1983 のち文庫
恋愛論序説 冬樹社 1984 のち中公文庫
入場料八八〇円ドリンクつき 谷川俊太郎共著 白泉社, 1984 のち集英社文庫
嘘ばっか 新釈・世界おとぎ話 講談社 1985 のち文庫
ラブ・イズ・ザ・ベスト 冬芽社 1986 のち新潮文庫
私はそうは思わない 筑摩書房 1987 のち文庫
あの庭の扉をあけたとき ケイエス企画 1987
わたしいる 童話屋 1987 のち講談社文庫
あっちの豚こっちの豚 小峰書店 1988
もぞもぞしてよゴリラ 白泉社 1988 のち中公文庫
乙女ちゃん 愛と幻想の小さな物語 大和書房 1988 のち講談社文庫
友だちは無駄である 筑摩書房(ちくまプリマーブックス) 1988 のち文庫
右の心臓 リブロポート 1988
佐野洋子の単行本 本の雑誌社 1989 『がんばりません』と改題、新潮文庫
わたしが妹だったとき/こども 福武文庫、 1990 (偕成社版にエッセイを加えたもの)
わたしクリスマスツリー 講談社 1990
ふつうがえらい マガジンハウス、1991
ぺこぺこ 文化出版局 1993
コッコロから マガジンハウス 1993 のち講談社文庫
みちこのダラダラ日記 理論社 1994
ふたつの夏 谷川俊太郎共著 光文社 1995
女一匹 広瀬弦共著 マガジンハウス 1995
Catmania PARCO出版 1997
あっちの女こっちの猫 佐野洋子画文集 講談社 1999
あれも嫌いこれも好き 朝日新聞社 2000 のち文庫
ねえとうさん 小学館 2001
神も仏もありませぬ 筑摩書房、2003 のち文庫
覚えていない マガジンハウス 2006 のち新潮文庫
シズコさん 新潮社 2008.04 のち文庫
役にたたない日々 朝日新聞出版 2008.05(エッセイ集)
天使のとき 朝日新聞出版 2008.12
問題があります 筑摩書房 2009.7
クク氏の結婚、キキ夫人の幸福 朝日新聞出版 2009.10
他。
<高峰秀子著書一部>
『わたしの渡世日記』上 下 文春文庫1998年3月ISBN 4167587025, ISBN 4167587033
『つづりかた巴里』潮出版社1979年7月ISBN 4267049505
『私の梅原龍三郎』文春文庫1997年10月ISBN 4167587017
『にんげん蚤の市』文春文庫2000年1月ISBN 4167587041
『台所のオーケストラ』文春文庫2000年11月 ISBN 4167587055
『にんげんのおへそ』文春文庫2001年10月 ISBN 4167587068
『コットンが好き』文春文庫2003年1月 ISBN 4167587076
『人情話松太郎』文春文庫2004年1月 ISBN 4167587084
『おいしい人間』文春文庫2004年7月 ISBN 4167587092
『にんげん住所録』文春文庫2005年7月ISBN 4167587106
『にんげん蚤の市』清流出版2009年7月ISBN 4860292863
他。
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